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「うそみたい」頬つねり涙流す被団協の代表委員、長年の活動実りノーベル平和賞「満塁ホームラン打ったような気持ち」

読売新聞 / 2024年10月12日 7時5分

 壮絶な被爆体験を歴史に刻み、伝え続けた意志を世界がたたえた。11日に発表されたノーベル平和賞に、被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」が選ばれた。広島や長崎の被爆者らは、「核なき世界」の実現へ誓いを新たにした。

「核なき世界」誓い新た

 「夢の夢。うそみたい」。広島市役所で11日、受賞者の発表を待っていた被団協代表委員の箕牧みまき智之さん(82)は、「日本被団協」と読み上げられた直後、頬をつねり、涙を流した。

 1945年8月6日午前8時15分。空襲を受けた東京から父の実家がある広島に疎開していた箕牧さんは、当時3歳だった。

 雷が落ちたように、目の前がピカッと光った。午後になると、服がぼろぼろになった人たちがやってきて、怖くなって自宅に隠れた。その後、広島駅で働いていた父を捜すため、母と弟と原爆投下直後の広島市中心部に入り、被爆した。

 核兵器の廃絶を訴え続け、昨年11月には米ニューヨークに赴き、現地のイベントで被爆体験を語った。自身も含めた被団協の長年の活動が平和賞に輝き、箕牧さんはこの日の記者会見で「満塁ホームランを打ったような気持ちだ」と笑顔を見せた。

 さらに、ロシアのウクライナ侵略、パレスチナ自治区ガザでの戦闘に触れて「恒久平和の実現を訴えるため、活動に磨きをかけていく」と強調し、日本政府には「核兵器禁止条約への署名、批准を前向きに考えてもらいたい」と訴えた。

 会見には高校生平和大使の3人も出席した。参加者の女子高校生(16)は「人の思いが持つ力の強さ、それがつながっていくことの強さを肌で心で感じた」と話した。

 「被爆者の活動がようやく国際社会に伝わった」。被団協代表委員の田中熙巳てるみさん(92)(埼玉県新座市)も受賞決定に声を弾ませた。

 13歳だった45年8月9日、長崎の爆心地から3・2キロの自宅で被爆。奇跡的にほぼ無傷だったが、祖父や伯母ら親族5人を亡くした。70年代から被爆者への医療費などの支援や核兵器廃絶を求める運動に参加。11日も東京・永田町で国会議員らに核兵器廃絶などを訴える活動を行い、自宅に帰る途中で受賞決定を知ったという。

 「日本や核保有国の政府に、核兵器廃絶に向けた政策を実行するよう、より強く訴えられるようになる」。田中さんは意義を語るとともに、「被爆者は高齢化し、もういなくなってしまう。その国々の国民には、核兵器廃絶のために立ち上がってほしい」と語気を強めた。

 広島市の松井一実市長は11日、報道陣の取材に「被爆地広島を代表して心からお祝い申し上げる」と述べた。核兵器廃絶を求め、被爆者らが2016年に始めた「ヒバクシャ国際署名」に触れ、「1370万筆を超える署名を集められたことは、核兵器禁止条約が成立し、発効されるに至った原動力となった」とたたえた。

 両親が長崎原爆の被爆者である被爆2世の鈴木史朗・長崎市長は市役所で記者会見し、「被爆者の平均年齢も85歳を超える中で、被爆者の取り組みを、どう次の世代に継承していくかが重要な課題。受賞は核廃絶の大きな推進力となることを期待している」と語った。

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