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「平和賞に恥じないよう体験を継承したい」…被団協ノーベル賞選出、広島・長崎に喜びと決意

読売新聞 / 2024年10月12日 12時1分

笑顔で被団協のノーベル賞受賞の喜びを語る阿部静子さん(12日午前9時52分、広島市南区で)=金沢修撮影

 被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」がノーベル平和賞に選ばれてから一夜明けた12日、核廃絶を訴えてきた広島、長崎の被爆者らは喜びと決意を口にした。「核なき世界」に向け、歩みを加速させる。

 「『今年こそ、今年こそ』と願っていた被爆者の悲願がやっと届いた」。被爆者運動の草創期から国内外で被爆の実相を訴えてきた阿部静子さん(97)は12日朝、入居する広島市内の高齢者施設で静かに語った。

 1945年8月6日朝、広島市の爆心地から1・5キロで勤労奉仕中に被爆。体の右側に大やけどを負い、3か月間ほぼ寝たきりだった。顔の右半分にはケロイドができた。「赤鬼」と言われ、何度もつらい思いをした。整形手術を繰り返したが、いまも口元の引きつりは残り、右手の指3本は曲がったままだ。

 54年の「第五福竜丸」事件を受けて巻き起こった被爆者運動を先導した吉川きっかわ清さん(1986年に74歳で死去)らと当初から行動をともにし、ケロイドをさらして証言活動をしてきた。

 「核兵器はすべてを破滅させる。原爆は過去のものでもひとごとでもない。平和賞に恥じないように体験を継承していきたい」と誓った。

 被団協の代表理事で、県組織である長崎原爆被災者協議会(被災協)副会長の横山照子さん(83)は12日、長崎市の自宅で取材に応じ、「本気でずっとノーベル賞をとりたいと思っていたのでうれしい」と喜んだ。

 被団協や被災協の設立に尽力し、米国連本部で被爆者として初めて演説した山口仙二さん(2013年に82歳で死去)らと長年活動を共にしてきた。

 来年の被爆80年に向けた被災協のプロジェクトのリーダーとして、若者らと一緒に被爆者の証言動画の制作などに取り組んでいる。「仙ちゃんたち先輩の被爆者が訴えてきたことを次は私たちが世界に発信したい」と決意を新たにした。

 広島で8歳で被爆した歴史研究家の森重昭さん(87)は、1970年代から被爆死した米兵捕虜の身元や死亡の経緯を調べ、遺族を捜す活動を続けてきた。「原爆の犠牲者に敵も味方もない。すべての人が同じように追悼されるべきだ」という思いが原動力だった。

 2016年5月には、現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏を、被団協の前代表委員、坪井すなおさん(2021年に96歳で死去)とともに平和記念公園で出迎え、抱擁を交わした。「戦争や原爆でどんな目に遭うか。ノーベル賞は原水爆を使ってはいけないと世界に発信するいい機会だ」と力を込めた。

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