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「関西水俣病訴訟」最高裁判決から20年、続く二重基準…「国が態度を改めない限り問題は解決しない」 

読売新聞 / 2024年10月13日 12時0分

最高裁判決の意義を語る田中弁護士

 水俣病の健康被害を拡大させた国と熊本県の行政責任を認めた「関西水俣病訴訟」の最高裁判決から15日で20年となるのを前に、水俣市で12日、判決について考える集会があった。原告弁護団事務局長を務めた田中泰雄弁護士(72)が講演し、司法が行政よりも幅広く患者を認めたことで二重基準が続いているとして、「国が態度を改めない限り問題は解決しない」と語った。(白石一弘、中村由加里)

 関西水俣病訴訟は1982年、熊本、鹿児島両県出身で関西地方に暮らす未認定患者が国などを相手取って提訴した。最高裁は2004年、2審・大阪高裁判決を追認し、原因企業チッソだけでなく、国と熊本県の責任を認め、賠償を命じた判決が確定した。

 判決では感覚障害だけでも水俣病と認め、行政よりも緩やかな基準を採用したことから認定申請者が急増した。国は解決策として09年に被害者救済法を成立させ、数万人が救済対象となった。申請は12年に締め切られ、救済対象から漏れた人たちによる集団訴訟が各地で続いている。

 集会は水俣病被害者や支援者団体が企画し、水俣市の「もやい館」に関係者約70人が集まった。田中弁護士は最高裁判決を、「行政の発生、拡大責任を認める意義ある判決だった」と強調。国と県の加害責任が確定したことで、「それに基づく補償(救済法)につながった。従来の政治決着は間違っていた」と指摘した。

 集会の参加者も様々な思いを抱いた。チッソ水俣病患者連盟の高倉史朗事務局長(73)は、最高裁判決を第2小法廷で聞いた。当時を振り返り、「最高裁判決は1995年の政治決着で固定化した現状を流動化させた」と話した。

 2度の政治決着に携わった水俣病被害者の会の中山裕二事務局長(70)は、「最高裁判決は認定申請者を急増させた画期的なものだった。今は戦いの総決算が進められている」と述べた。

 73年に認定患者とチッソが締結した補償協定にも関わった水俣病互助会の伊東紀美代さん(82)は、最高裁判決後に県が始めた胎児性・小児性患者の生活支援事業が役立っていると説明した。その上で被害者の高齢化を憂い、「判決から20年がたつが、行政の判断(救済策)には判決が生かされていない」と指摘した。

全面解決に向け各党に質問状…全国連

 水俣病の健康被害を巡り、国などに損害賠償を求める集団訴訟を続けている水俣病不知火患者会や新潟県の団体などでつくる「ノーモア・ミナマタ被害者・弁護団全国連絡会議」(全国連)は9日、衆院選(15日公示、27日投開票)に合わせ、各政党に水俣病問題の全面解決に向けた公開質問状を送った。17日までの回答を求め、結果を公表する。

 質問状では、▽国政の重要課題と考えるか▽原告との協議に応じ、救済を図る考えがあるか▽新たな救済制度の必要性▽被害地域での健康調査の実施――の4項目を尋ねている。

 全国連は、128人の原告全員を水俣病と認めた昨年9月の大阪地裁判決や患者・被害者団体が前環境相との懇談中にマイクを切られた問題を挙げ、「被害者の声を聞き、水俣病問題を解決せよ、という大きな世論となっている」と訴えている。

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