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「きれいごと」が並ぶ公約、どう見極める?佐藤卓己・上智大教授が考える方法は…「セロンよりヨロン」「悪さ加減の選択」

読売新聞 / 2024年10月26日 10時0分

「世間に漂う空気に惑わされないために、〈輿論〉という文字を復興したい」と語る佐藤さん イラスト・樋口たつ乃

 衆院選の投開票は27日に迫っていますが、投票先に迷っている人も多いでしょう。「信頼できる政党や候補者を冷静に見極めよう」と言われても、各党の公約は“きれいごと”が並んでいます。どうやって見極めたらよいのか。日本に必要なのは、「空気より責任ある意見、セロンよりヨロンなのだ」という上智大学教授でメディア史家の佐藤卓己さん(64)に聞きました。

総裁選も代表選も「選挙の顔選び」

 ――総選挙では発足直後の石破政権への信任が問われています。与野党のニューリーダーの登場をどう見ますか。

佐藤 石破さんが自民党総裁に選ばれたことも立憲民主党の野田さんが代表になったことにも驚きはなく、予想通りでした。自民党総裁選で決選投票になった石破さんと高市さんの場合、新聞各紙の世論調査では石破さんがダブルスコアで支持を集めていた。立憲の代表選でも野田さんも事前の世論調査で高い支持があった。

 総裁選も代表選も党の選挙ですが、「選挙の顔選び」でもある。となると当然、国民の目を意識した行動が予想され、その通りになりました。

 ――世論に示される声を意識した政治は、よいことではないのですか。

佐藤 問題は、時々の気分で動きやすい世論調査に政治が左右されることです。世論に飽きられたら使い捨てにされる。それを避けようと、支持率が下がってきたらバラマキ予算を組むなど、古代ローマの「パンとサーカス」のような即時報酬型のイベントをやる。それは私に言わせると世論に迎合したポピュリズムです。これでは国家百年の大計を見すえた政治がいつまでたっても実現しません。

 ――セロンよりもヨロンが大切と、『輿論よろん世論せろん』(新潮選書、2008年刊)の出版以来、継続的に主張していますね。

佐藤 戦前は、〈輿論=公的意見〉と〈世論=世間の空気〉という使い分けがあり、時間の経過に耐える輿論と、熱しやすく冷めやすい世論は別物でした。それが戦後の当用漢字表で「輿」の字の使用が制限されたこともあり、責任ある輿論と付和雷同になりがちな世論の差異が忘れられてしまった。

あいまいな情報に飛びつかない

 ――そして新刊『あいまいさに耐える ネガティブ・リテラシーのすすめ』(岩波新書)では、輿論を育むためには善/悪、左/右といった判断を急がず、あいまいな情報に飛びつかない「耐性思考」こそ必要と書いていますね。

佐藤 SNSが登場し、真偽不明の情報が飛び交う現代では、不用意な反応をしないために、「ソ・ウ・カ・ナ=即断しない・鵜呑うのみにしない・偏らない・中だけ見ない(スポットライトの外側に隠れている情報を想像する)」という姿勢が大切です。

 ――ただ選挙では、限られた期間に、限られた情報で、限られた候補者から投票先を選ぶ必要がある。どうしたらよいでしょう。いつも参考にしているのは先輩記者の橋本五郎特別編集委員が敬愛する明治の思想家、福沢諭吉の「政治とは悪さ加減の選択である」という言葉です。

佐藤 早急に正解を求めないため、より悪いものを見定めて排除する。「悪さ加減」の選択は有効な手段だと思います。

反対意見を説得する気がないと…

 ――悪さ加減をはかる基準はありますか?

佐藤 輿論の輿は御輿みこしの輿です。輿論となる言論かどうかは御輿を担ぐように論を担いでいるか、つまり意見に責任をもつ気概があるかどうかで見極めます。単に、国民がこう言っている、要望しているからと公約を掲げる人は、世論に迎合しているだけで、自らの責任で主張しているようには見えない。

 とりわけ有権者を行政サービスの受け手(消費者)のように扱い、すぐに利益を与えるかのような発言をするのは、世論迎合の典型です。

 ――財源を語らぬ大盤振る舞いは無責任ですね。でも、人は、将来の報酬よりも、すぐにもらえる目先の報酬を選んでしまいがちでは……。

佐藤 だからこそ、目先にとらわれず、将来を考える遅延報酬型の見方で、公約を判断する姿勢が大切です。

 それと、反対意見を説得する構えのない議論は簡単に信じてはいけない。輿論主義というのは、明治天皇が新政府の施政方針を示した「五箇条の御誓文」の第一条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」に由来するもので、「公開討議された意見」です。だから、反対意見についての知識も必要で、相手と交渉し、長い時間をかけて説得する態度が求められます。

 ――ということは、候補者が対立候補をどう扱っているか、その観察も必要ですね。

佐藤 はい。自らの正義の旗のみを掲げ、敵と味方に二分し、相手は悪だから説得も交渉も必要ではないという態度は、「万機公論ニ決スヘシ」の精神からはほど遠い。このように時間をかけて物事を成就しようとする遅延報酬的な発想が、輿論を育てるためには肝心です。

 ――とはいえ、現代ではすぐに正解を求めるファスト政治の風潮があり、わからないことはAIに聞く人も多い。

佐藤 それは大きな問題です。本来、教育って遅延報酬的なものの典型で、やっているときは楽しいものではなくても、やがて未来に大きなリターンとして自分のもとにかえってくる。

 そうした人間が成長するプロセスへの信頼と将来への期待が失われ、「明日にも役立ちます」という目先のことばかり重視される状況でよいのか。その問題意識が、私の考えの根本にあります。

複雑な状況に耐える思考力

 ――苦労せずとも、早く正解が出るなら、効率的と考える人もいますが。

佐藤 人は失敗し、間違えるから学び、成長するんです。正解しかないならそこには学習はなく、成長もない。

 ファスト化の問題はもうひとつある。世の中の課題は、様々な利害が入り組む複雑系ですから、すぐに正解を出そうとすると、問題を単純化せざるを得ないじゃないですか。それはかつての受験秀才が、制限時間内に高得点をとるのと同じで、真の問題解決からはほど遠い。

 必要なのは、複雑な状況に耐える思考力です。

 ――ただ、判断を急がず、考えてばかりいては、決められない政治になってしまう懸念があります。

佐藤 私もいろんな会議に出ていますが、確かに無駄な会議は多い(笑)。その種の会議の特色は、責任を分散するためのダラダラとした議論が続くことにあります。誰かが「私が責任を取ります」と言えば決まるのに、誰もそう言わない(笑)。輿論でいう論を責任をもって担ぐ人がいないことが問題なんです。

 ――そうした中で、これからの時代を担う若者にメッセージをお願いします。

佐藤 未来を見すえた議論をかわし、輿論を担うのは、まさにその未来を生きる若者たちです。それで教えている大学では、学生に、「卒論を書くときは、10年後、20年後も読み返すに値する古典をとにかく一冊でも見つけてほしい」と話しています。そうした古典と出あえれば、遅延報酬として将来きっと役に立つ。そんなプロパガンダをしているわけです(笑)。

 ――なぜ、古典なのか。

佐藤 今、流行はやっているだけのことは10年後にはほぼアウト・オブ・デート(時代遅れ)になっている。これに対して50年、100年生きてきた古典の議論は、おそらく今後50年、100年たっても生きている。私自身、京大生時代、岩波文庫の古典を読む野田宣雄先生のゼミで、ランケやヘーゲルなどを読んだ経験が今につながっている。

 古典って読み方に正解がないじゃないですか。それこそ聖書とか仏典、論語でもいいけど、古典は解釈によって真逆のことだって言える。だから、これをしっかり読み、あいまいさに耐えることは、耐性思考を鍛えるための実は最も近道であるんです。

さとう・たくみ 1960年広島県生まれ。京都大学文学部卒。京都大学博士。上智大学文学部新聞学科教授、京都大名誉教授。専攻はメディア文化学。

 伝説的国民雑誌が体現した総動員時代の文化を描く『「キング」の時代』で2003年、サントリー学芸賞。軍人による言論弾圧というステレオタイプの見方に変更を迫った『言論統制』(吉田茂賞)、『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』など話題作も多い。昨年はメディア議員列伝の一冊として『池崎忠孝の明暗』を出版した。

(読売新聞夕刊「鵜飼哲夫編集委員の ああ言えばこう聞く」から転載)

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