1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

会議室から始まったコミケ、いかにして「オタクの祝祭」になったか…今明かされる歴史「誰が予想しますか」

読売新聞 / 2024年11月9日 17時0分

 世界最大級の同人誌即売会「コミックマーケット」は1975年12月、参加者わずか700人でスタートした。なぜこれほどの成長を遂げたのか。(文化部 石田汗太)

「会議室」から全てが始まった

 「会議室一つで始めたものがこうなるなんて、誰が予想しますか」。コミックマーケット準備会初代代表の原田央男(てるお)さん(72)は語る。第1回(C1)の会場は日本消防会館(東京都港区)会議室だった。参加サークル数32、長机14脚をロの字に並べただけの配置。「会議室だから長机しかなかったんですよ」

 原田さんは漫画批評集団「迷宮」のメンバーで、亜庭(あにわ)じゅんさん、米沢嘉博さんらと共に同人誌「漫画新批評大系」を創刊した。「出しただけで満足したくなかった。僕らの本を読んでもらうためには、同人誌流通の場を自分たちで作る必要があった。マーケットという名称も自然に出てきました」。この「迷宮」が準備会の母体となった。

 漫画雑誌「COM」が71年に休刊したことも大きかった。同誌は全国の漫画同人サークルを組織化しようとしたことで知られる。「COMがなくなったので、自分たちでやるしかなかった。僕はCOMの漫画が好きでした。同人誌即売会を開いたら、まだ見ぬ創作漫画が読めるんじゃないかという期待があった」

 予想を超えたのは、女子中高生を中心とした少女漫画ファン、アニメファンが会場に殺到したことだ。萩尾望都さんらによって少女漫画の新しい波が起こり、アニメブームが勃興し始めていた。「創作漫画よりファンクラブ会誌が増えて、参加者数もうなぎ登り。会場をどんどん広くして運営も大変になっていった」。参加者が4000人に達した79年、原田さんは限界を感じて代表を自ら退任。翌年から米沢さんが2代目を継ぐ。

キーマンは「米やん」

 コミケは漫画家とファンの交流を図るコンベンション型イベントへの反発から始まった側面がある。来場者を平等な「参加者」と呼び、あらゆる同人誌を受け入れた。それゆえのきしみも生じたが、90年代以後の急拡大は、漫画評論家としても活躍した米沢さんの鷹揚(おうよう)なリーダーシップによるところが大きい。

 「米沢前代表がみんなを引っ張ったという印象はあまりない。準備会はスタッフのボトムアップで動くんです。米沢は『いいよ』と言うのが基本」と、有限会社コミケット広報の里見直紀さん(56)は話す。

 拡大し続けるコミケは「オタクの祝祭」となっていく。原田さんによると、コミケを「ハレの日」と最初に呼んだのは米沢さんだった。「僕が代表の頃は『祭りにしない』という暗黙の了解があった。ハレと言い換えたのはいかにも(よね)やん(米沢さんの愛称)らしいな、と」

 米沢さんは2006年、53歳で死去。告別式には1500人が集い、出棺時は盛大な拍手が起こった。米やんがいかに愛されたかを示す光景だった。

 3人の共同代表制に移行しても運営に揺らぎはなく、19年末のC97は4日間で75万人という空前の記録を作った。が、年明けにコロナ禍が発生、20年のC98は史上初の中止に。その後3回は入場制限付き開催となり、ほぼ通常開催に戻ったのは23年のC102からだ。1日あたりの参加者数は、コロナ前の約7割まで戻っている。

見本誌は約300万冊に

 参加サークルは準備会に新刊の見本誌を1冊提出するのがC1以来の習わしだ。約300万冊の見本誌は、埼玉県内の倉庫に厳重に保存されている。

 「若いスタッフに時々、自由に見てもらっています。コミケの歴史を知ってほしいから」。3代目となる市川孝一共同代表(56)は語る。見渡す限りの段ボール箱は、開催回・配置ブロックごとに整理され、図書館のように、目的の同人誌にたどり着けるようになっている。

 市川さんらはコミケの理念を少し改定した。〈すべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした表現の可能性を(ひろ)げる(ため)の「場」である〉。継続という言葉が新たに強調された。

 「『黒子のバスケ』事件がきっかけです。米沢が代表だったら理念の見直しに反対したかもしれない。しかしコミケはこれだけ大きくなったのだから、『我々は何があっても続けていく』という覚悟を示さなきゃならないと思った。あらゆる表現を受け入れることと、場の継続を願うことは矛盾するかもしれない。でも、矛盾だらけなのも同人誌即売会なんですよ」

コミケから「自分で場を作ってほしい」

 この50年、同人誌即売会の代名詞であり続けたコミケ。しかし、創設メンバーの原田さんは、「参加者にはあまり『依存』してほしくない」と語る。

 「コミケ創設時は、まだ学生運動の余韻が残っていた。上の世代の『革命』の挫折を見た僕らは、漫画を変えたいと思った時に別のやり方で臨むしかなかった。それが漫画評論と同人誌即売会だった。そこから生まれたコミケは、同人誌即売会を成り立たせるための『システム』なんです。机と場所があれば誰でも即売会が開ける。必要なら、自分で場を作ってほしい」

黒子のバスケ」事件とは…

 人気漫画「黒子のバスケ」の関係先複数に脅迫文が送られた事件。コミケも会場側の強い要請により、一部サークルに参加自粛を求める事態になった。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください