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なでしこが世界一を決めた伝説のゴール、澤穂希は「宮間しか見えなかった」…明かされる伝説の瞬間

読売新聞 / 2024年11月12日 10時0分

大勢のファンに迎えられ、笑顔を見せる澤主将(手前左)らなでしこジャパンの選手(2011年7月19日、成田空港で)

 サッカー女子元日本代表で、2011年女子ワールドカップ(W杯)では主将としてチームを優勝に導いた澤穂希さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。W杯優勝を引き寄せたアメリカ戦の歴史的ゴールをMCの元男子日本代表の槙野智章さんと振り返った。

最強アメリカに挑戦

 2011年の女子W杯ドイツ大会決勝では、日本代表がそれまで一度も勝てていなかったアメリカ代表が相手だった。当時のアメリカ代表は世界ランキング1位。W杯も過去に2度優勝しており、2008年の北京五輪も制していた。ドイツ大会直前に行ったアメリカ遠征で親善試合を戦ったが、0―2、0―2で歯が立たなかった。

 当時の対戦成績は日本の0勝3分け21敗。総得点は日本の13点に対し、アメリカは70点。「チャレンジャーとして臨む試合」。佐々木則夫監督(当時)が試合前に語った言葉を借りずとも、下馬評は圧倒的にアメリカ有利だった。

 試合はアメリカに2度リードを許しながら、2度同点にする驚異的な粘りを見せた。

 澤さんのゴールが生まれたのは、アメリカ1点リードでむかえた延長後半12分。日本がコーナーキックを獲得。直前のプレーでアメリカのGKソロが倒れてゲームが一時中断し、日本側もコーナーキックの戦略をメンバーで話し合えた。

 「キーパーが倒れたじゃないですか。時間稼ぎなんですよ、わざと。逆にあれがあったから、みんなと話す時間ができてありがたかった。あそこに阪口(夢穂)、熊谷(紗希)、岩清水(梓)、宮間(あや)がいて、じゃあ誰がどこに入るって」

 高さで圧倒的に劣る日本が、コーナーキックでどう打開するか。

 「(アメリカは高さがあるから)直接ヘディングで戦ってもたぶん無理だから、ニア(サイド)でそらして変化をつけた方がいいんじゃないかって話して。じゃあ、自分はニアに行くわって。得意だから。宮間は私が(ニアに)入ってくるまでずっと見てるんですよ」

「うわっ、入ってる!」

 澤さんがアメリカ選手を引き付けながらニアに走り出し、宮間さんがそこにボールを蹴りこんだ。

 「(宮間さんが澤さんの動きを)見て見て見て、あそこに(ボールが)来るだろうなっていうところに蹴ってくれたから、宮間のゴールのようなもん、あれは」

 「本当に走り出したところにボールが来て。自分も直接入れようと思ってたわけじゃなくて、そらして中の3人の誰かが入れてくれたらいいなって思ったら」

 澤さんはアメリカ選手と競り合いながら足を伸ばし、ボールはゴール方向に軌道を変えた。澤さんはそのままピッチに倒れこんだ。

 「歓声が上がって。自分も転がってたから、どうなってんのかなと思って見たら『うわっ、入ってる!』。もう、びっくりしちゃった」

「やっぱこれ夢じゃない」

 「あそこで宮間が合わせてくれたのは信頼をしてくれてたから。自分が走り出してから(コーナーキックを)蹴ってるから。(ボールに触れたのは)本当に小指。右足のアウトサイドの小指らへん」

 「本当にスローに見えたの、全部が。ゾーンっていうか。自分が走ってるんだけど、なんかスローで走ってんの」

 ゴールが決まって、スタジアムが歓声に包まれたときも?

 「もう目の前に宮間しか見えなかった」

 槙野さんは「不思議だな、それ」と反応する。

 「宮間のところにしか行けないというか、宮間しか入ってこなくて。後ろから(チームメートが)来てたんだけども、もう宮間しかっていうぐらい」

 当時、槙野さんはドイツ・ブンデスリーガでプレーしていた。「ドイツにいたんですけど、澤さんのゴールが入った時にマンションの管理人が『ゴール決めたぞ、勝ったぞ!』って。忘れられないもんな」と振り返る。

 日本代表は準々決勝でドイツに勝利し、決勝まで駒を進めていた。「だからドイツの人たちが応援してくれたんですよね。優勝した時も、ドイツの空港でパイロットの人たちとか、もうすごかった」と澤さん。

 W杯優勝をきっかけに、国内女子サッカーは空前の「なでしこフィーバー」にわいた。

 「優勝した日は30分しか寝れなかったんだけど、起きた時に枕元にメダルあったから、もう夢じゃない、やっぱこれ夢じゃないって。それまでずっと夢の中にいたの。何が起きてるのか本当に分からない。受け入れるまでにすごい時間がかかった」

プロフィル

澤穂希(さわ・ほまれ)

15歳で日本代表入りし、五輪に4度、W杯に6度出場。2011年W杯ドイツ大会での初優勝に貢献し、国際サッカー連盟(FIFA)女子年間最優秀選手にアジアで初めて選ばれた。なでしこジャパンとして国民栄誉賞も受賞。12年ロンドン五輪で日本女子サッカー史上初のメダルとなる銀メダル獲得。15年W杯カナダ大会準優勝にも貢献し、同年に現役を引退した。日本代表通算205試合の出場で83得点。1978年生まれ。東京都出身。

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