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「解放運動の象徴」アラファト氏死去から20年、パレスチナでも「割れる評価」…ガザの惨状招いた責任も指摘

読売新聞 / 2024年11月14日 7時25分

11日、ヨルダン川西岸ラマッラで開かれたアラファト氏の追悼式典であいさつするパレスチナ人の子どもたち=福島利之撮影

 パレスチナ自治政府の初代議長ヤセル・アラファト氏(1929~2004年)が死去してから11日で20年となった。パレスチナ自治区では民族解放運動のシンボルとして今でも英雄視されているが、国家を樹立する機会を逃し、ヨルダン川西岸やガザ地区での惨状を招いた責任の一端も指摘され、功罪相半ばしている。(ヨルダン川西岸ラマッラ 福島利之)

 西岸の拠点都市ラマッラにあるアラファトびょう前では11日に追悼式典が開かれ、数百人が参加した。例年の参加者は数千人だが、今年はガザで戦闘が続く中でイスラエル軍が往来を制限しているため、少ない参加者にとどまった。アラファト氏らが創設した主流派ファタハのマフムード・アルール副議長は「ガザで起きていることは悲劇だ。我々は抵抗を続ける」と述べた。

 アラファト氏の功績について、サブリ・セイダム自治政府元教育相は取材に「バラバラだった民族運動を立て直し、パレスチナの一体感を作った」と語った。ゲリラ闘争を展開し、パレスチナ解放機構(PLO)を率いたアラファト氏は1974年に国連総会で「オリーブの枝と銃を携えてきた」と演説するなど、パレスチナ問題を世界に認識させた。93年にパレスチナの暫定自治を定めたオスロ合意をイスラエルと結び、自治政府を発足させた。

 しかし、その後の和平交渉が決裂すると、2000年からは第2次インティファーダ(反イスラエル蜂起)に身を投じた。パレスチナは国家として承認されず、「建国の父」にはなれなかった。ガザでは戦闘が繰り返され、西岸では入植地建設で土地を奪われ続けている。

 追悼式典に毎年出席する女子大学生ユスラ・セルヘットさん(20)は、アラファト氏を「全てのパレスチナ人のお父さんです」と呼ぶが、イスラエルの地元記者は「テロリストでしかなかった」と切り捨てる。パレスチナの政治アナリストのムハンマド・ダラハメ氏(61)は「国を樹立する多くの機会がありながら、和平交渉を完全に破壊した。現在のパレスチナの苦難はアラファト氏に負うところも大きい」と指摘する。

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