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5人のお子さまを育てた百合子さま、三笠宮さまとの思い出をユーモアを交え語られる…101歳でご逝去

読売新聞 / 2024年11月15日 10時56分

三笠宮さまと赤坂御用地で過ごされる百合子さま(2015年11月16日)=宮内庁提供

 昭和天皇の末弟の三笠宮さまの妃として、皇室で83年を過ごした百合子さまが15日、101歳で亡くなられた。三笠宮さまを支えながら5人のお子さまを育て、戦中、戦後を生き抜かれた。晩年は宮邸で穏やかな日々を送り、歴史の語り部の役割も担われた。

 2022年12月に出版された三笠宮さまの伝記に収められたインタビューでは、孫の彬子あきこさまや娘の近衛甯子やすこさん(80)、千容子まさこさん(73)らに囲まれ、75年連れ添った三笠宮さまとの思い出をユーモアを交えて語られた。

 「全然説明がなくて、リハーサルもなくて、とにかくぶっつけ本番で」。三笠宮さまと結婚されたのは、1941年10月22日。女子学習院本科を卒業したばかりで、朝から泣きっぱなしだったと明かされた。

 時代は日中戦争のまっただ中。儀式は簡素化され、新聞の取材もなかった。赤坂御用地(東京・元赤坂)内の新居は45年5月の空襲で焼失し、防空ごうで暮らされた。「あまりに非衛生的で、一日中外にいた」と振り返られた。

 戦後はオリエント研究者となった三笠宮さまの活動を献身的に支えられた。授業のノートを代わりに写し、中東やアジアの現地調査にも同行。8ミリカメラで様子を撮影し、三笠宮さまが講演される時はスライド作成や、当日の映写係もされた。

 家族を思う気持ちを常に持ち、2016年に亡くなった三笠宮さまのほか、三男の高円宮さま(02年逝去)、長男の寛仁さま(12年同)、次男の桂宮さま(14年同)の3人のお子さまの墓参を欠かさず続けられた。

 宮内庁関係者によると、晩年は宮邸でリハビリ体操をして体を動かしたり、天気の良い日は庭で日光浴をしたりして過ごされた。毎朝、複数の新聞を読むことを日課とし、テレビで野球中継を楽しまれた。

 行きつけの美容院では髪だけでなく、爪の手入れも怠らないなど身だしなみに気を配られていたという。百合子さまを支えた関係者の一人は、「三笠宮家の当主として、最期までりんとされていた」と話した。

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