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「ご苦労がわかるわ」と話しかけた百合子さま、長年にわたり和装文化の「扇の要」に

読売新聞 / 2024年11月15日 16時55分

第26回民族衣裳文化功労者表彰式を前に、展示の着物を見学される三笠宮妃百合子さま(2006年11月2日)

 三笠宮妃百合子さまの逝去を受け、ゆかりのある人たちからは、悼む声が上がった。

 元宮内庁長官で恩賜財団母子愛育会会長の羽毛田信吾さん(82)は、百合子さまが2010年に同会総裁を退いた後も、活動状況を気にかけていろいろな質問を寄せられたことを覚えている。「終戦直後から62年間、母子福祉の向上に尽くされてきた思いが伝わってきた」とふり返る。

 01年から12年まで、宮内庁次長、同長官として、誕生日などでお祝いを伝えると、穏やかな笑顔で応じられた。02年に三男高円宮さま、12年に長男寛仁ともひとさま、14年に次男桂宮さまと相次いで逝去したが、「悲しみを表に出さず、普段通りに振る舞われたことが印象に残っている」と明かし、80年余りの皇族妃としての貢献に対し、深い謝意を口にした。

 百合子さまは2010年までの31年間、和装文化の普及・啓発に取り組む「民族衣裳いしょう文化普及協会」の名誉総裁を務められた。

 百合子さまは毎年、協会の功労者の表彰式に出席された。同協会の水島博子さん(85)によると、染め職人の藍色に染まった手元を見て「ご苦労がわかるわ」と話しかけるなど、受賞者一人ひとりに優しく声をかけられていたという。「着物に関する幅広い知識を持ち、我々にとって『扇の要』のような存在でした」としのんだ。

 名誉総裁退任後も交流を続けてきた水島さん。皇室の伝統的な習慣に驚きつつも、正月の食卓に家庭で出される品を加えられたという話が印象に残っているという。「激動の時代にも、家庭的な部分を大事にしながら5人のお子さまを育てられた。お声はいつまでも若々しくシャキッとしていらして、誰もが魅せられる方でした」としのんだ。

 22年末に出版された三笠宮さまの伝記の編さんに携わった政治経済研究所研究員の舟橋正真さん(42)は21年、百合子さまの孫の彬子あきこさまらと一緒に百合子さまに計11回のインタビューを行った。

 事前に質問状を送ると、百合子さまは皇室入り後につけていた日記や育児日誌を見返して、何があったかを確認して臨まれた。1回当たり1時間半~約2時間と長時間だったが、舟橋さんは「誠実に対応していただいた。記憶力の確かさに驚かされた」と振り返る。

 百合子さまは装束や儀式など皇室の伝統についても話された。彬子さまが日本文化を伝える活動をライフワークにされていることから、「自然な雰囲気で話をされていた。孫に皇室の文化や三笠宮さまの事績を伝えたいという思いを感じた」と話す。

 元東京女子大学長で、同大で歴史学の教べんを取っていた三笠宮さまの助手を務めた湊晶子さん(92)は、三笠宮さまが「百合子がいたのでここまで来られた」と何度も話していたことを覚えている。

 湊さんは三笠宮さまと半世紀以上の親交があったが、常に百合子さまへの感謝の言葉を聞いていた。湊さんが三笠宮さまのネクタイを「すてきですね」と褒めると、「百合子が選んでくれたんだ」と喜んでいたことがあったという。

 湊さんは「百合子さまが三笠宮さまから愛されていたのがよく分かった。とてもすてきな夫婦だった」と振り返った。

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