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「よく焼き」が口癖だった高倉健さん……亡くなるまで17年間パートナーだった女性がエッセー

読売新聞 / 2024年11月22日 15時30分

和田康司撮影

「高倉健の愛した食卓」小田 ()() さん

「私に出来ることは、楽しく明るくご飯を食べてもらうことでした」

 色とりどりのグリーンサラダや、ポタージュ、様々な豆腐料理など、決して飾っていないのに、健康に良さそうなメニューの数々が並ぶ。これらは、『鉄道員(ぽっぽや)』『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』など、数々の名作に出演した俳優の高倉健さん(1931~2014年)が、人生の後半で口にしたものなのだという。

 執筆した小田さんは、戦後の映画界を代表する名優が2014年に亡くなるまでの17年間、パートナーとしてともに過ごした。本著は、高倉さんのために自ら作り、ともに食べたメニューから約200品を再現したフォトエッセーだ。

 「年齢を重ね、やりたい役とやってほしいと言われる役とのズレが生まれ、ストレスもあったと思う。私に出来ることは、とにかく楽しく明るくご飯を食べてもらうこと。そう自らに課し続けました」

 小田さんは現在、高倉プロモーションの代表取締役を務めるとともに、高倉さんの没後はありし日の姿を伝えるために、数々の作品を執筆してきた。本著は2019年に『高倉健、その愛。』を刊行した際、その中で紹介した献立の一例を目にした編集者からの、「食べてみたいです」という声をきっかけにして生まれた。

 高倉さんの好みや体調を気遣いながら作ったときの思い出や、料理を挟んでの名優との言葉のやり取りもおさめ、生前の姿を感じさせる貴重な記録にもなっている。「高倉が食べたのと同じような形で見ていただきたい」と、自然光や湯気、出来たてにこだわり、自ら撮影も担った。

体調管理のため、火が通ったものを好む

 本の中に掲載された料理は、高倉さんの真っすぐな背中を想像させるようなものばかりだ。「もし明日、死ぬって分かったら、最後の夕食に食べるご飯」と、自身が生前に挙げたという卵かけご飯。幼少期の体験から魚より肉の方が好きで、好んだという肉じゃがやカレーライス。小田さんは、「決して特別な料理はないんです。スーパーで普通に買えるものばかり。特別なものにはあまり興味がなかったんですよ」と語る。

 数多くの映画に出演し続けた人らしく、体調を気遣って生ものは避けたという。口癖は「よく焼き」で、火の通ったものを好んだ。プロ意識がにじむ様々なエピソードも紹介している。

 小田さん自身もこの約1年半、本著の作業を行う中、「食の大切さ」を改めて実感した。「高倉はきちんと食事をして体を整えていたことで、病気のときも、自らの意思で治療方針も選ぶことができ、最後まで会話を交わせたのかもしれません」

 1996年、仕事で訪れた香港で偶然、高倉さんと出会った。約1年の文通を経て「縁の下の力持ち」になることを決断。それまでは全て外食で、夕食のみだった高倉さんに食生活を見直してもらおうと、料理を作り続けた。私生活は目立たず過ごしたいという意向に沿い、一緒に旅行や、外食をしたこともなかったという。

 一方、自身の母が脳(こう)(そく)を患い、看病のために連日、病院に通った時期があった。その頃に知った、親族でなければ病室での看病は難しく、医師から詳しい病状を教えてもらうことは出来ないという病院の規則を、高倉さんに伝えたことがあったという。

 しばらくして、自らの年齢を(かんが)みた高倉さんからの提案で2013年に養女となり、最期まで高倉さんを支えた。「食べたいものや飲みたいもの、やりたいことを全て聞き、寄り添い続けられた。だから、思い残すことはないんです」

 穏やかで上品な笑顔を浮かべ、カメラの前にたたずんだ。(文芸春秋、3300円)松田拓也

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