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作家は真新しい語り口に揺さぶられ、詩壇は概してこの人気者に冷たかった…谷川俊太郎さん評伝

読売新聞 / 2024年11月19日 19時1分

多くの日本人に親しまれる詩を書き続けた詩人の谷川俊太郎さん(2023年4月、東京都杉並区で)

 詩、小説、歌詞、手紙、広告……。さまざまな日本語を、素直な気持ちを注ぎ込めるうつわに変えていったのは、この詩人だ。

 「空をこえてラララ星のかなた」の鉄腕アトムは60年っても愛唱され、「かっぱかっぱらった」は日本語ラップに先駆けた。生活に根ざす言葉で、恋人や家族に語りかけるように、今この瞬間に生きることのすべてを、ひたすら詩に込めた。だから東日本大震災直後、人々が思い思いにSNSで共有し、朗誦ろうしょうしたのも、谷川俊太郎の「生きる」(1971年)だった。

生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

(「生きる」より)

 誰もが書けそうで決して書けない、まさに天賦の詩情ポエジーにまず驚いたのは哲学者の父、谷川徹三と詩人の三好達治。たちまち時代の寵児ちょうじとなって音楽家の武満徹、劇作家の寺山修司とラジオドラマで協働し、市川崑監督に請われて東京オリンピックの撮影隊にも参加する。

 小説家も真新しい語り口に揺さぶられた。「鳥羽 1」の「本当の事をおうか」は、大江健三郎の代表作『万延元年のフットボール』の核心を成す一行として引用され、75年の詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』と初期の村上春樹作品の雰囲気は、同じ部屋のように通じ合っている。

 詩壇は概してこの人気者に冷たかったが、たとえば父の死を機とした『世間知ラズ』(93年)や、詩を詩で論じた『詩にいて』(2015年)ほど心を打つ見事な詩集が、いったい何冊戦後に現れたか。近現代詩の本流を「北原白秋、萩原朔太郎、谷川俊太郎」と最初に見抜いたのは詩人の中村稔・日本近代文学館名誉館長(97)。すでに谷川の詩は英語圏や中国で、芭蕉と共に最も知られる。

 世界や社会、こころの成り立ちを易しく説く『とき』(太田大八・絵)や『へいわとせんそう』(Noritake・絵)など多くの絵本を制作した。詩人の大岡信らとの共編『にほんご』は、不朽の教科書として版を重ねる。

 今春、共著『詩人なんて呼ばれて』に新たな章を加えるため、東京・阿佐ヶ谷の自宅で対話した。宇宙の知的生命体の話題となり、「ネリリし キルルし ハララしているか」、もうすぐわかりますね、『二十億光年の孤独』はやはり人類最大の関心事だった――そう言うと、「大げさな題名をつけたのは、正しかった」と微笑した。

 生涯に創作した詩は2500編以上ともいう。泉は最期まで枯れなかった。(元編集委員、文芸評論家 尾崎真理子)

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