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伝統野菜「仙台白菜」誕生100年…塩害に強く復興のシンボル、生産農家「全国に知らしめたい」

読売新聞 / 2024年11月24日 13時42分

仙台白菜の栽培を始めた大友さん(仙台市若林区で)

 東日本大震災の津波で被災した宮城県内の農地で、誕生から今年で100年を迎える伝統野菜「仙台白菜」の収穫が、最盛期を迎えている。塩害に強いことから、復興のシンボルとして震災後に復活。だが、栽培が難しく生産農家は減り続け、今では数えるほどに。「伝統を守りたい」。使命感にも似た思いを抱えながら作業に汗を流す。(榊悟、小山太一)

■肉厚で柔らかく、強い甘み

 東松島市赤井の野菜農家、遠藤淳一さん(51)は、仙台白菜の伝統種に当たる「松島純二号」を約40アールの畑で栽培している。大玉でみずみずしい白菜は肉厚かつ柔らかく、独特の強い甘みが特徴。収穫は今月から来月上旬まで続く。

 白菜は元々、明治時代に中国から種子が持ち込まれた。それを基に、県内で1924年(大正13年)に松島純二号が開発され、全国に流通した。県内はかつて日本一の出荷量を誇っていたが、戦後に育てやすい新品種への移行が進み、生産は減少していった。

 転機となったのは、震災による津波被害だった。多くの農地が浸水する中、全農県本部が塩害に強い仙台白菜の特徴に着目し、震災の年の秋から沿岸部で栽培とブランド化を進めてきた。

 ただ、葉が柔らかい分、傷つきやすく病害虫に弱い難点も。栽培農家は当初の28軒から6軒に減少した。生産組合長を務める遠藤さんも、近年の猛暑で全滅したこともあったというが、それでも諦めなかった。

 「おいしい、と言ってもらえるのが本当にうれしい」と栽培を続ける理由を語る遠藤さん。鍋で煮ると味がしみてトロッとし、生で食べるとシャキシャキとした食感を味わうことができるという。生産量が少なく、みやぎ生協など一部店舗でしか取り扱われていないが、「食べてもらえれば違いが分かる。ファンが増えて、生産農家も拡大してくれれば」と期待している。

■「再び名産地に」

 仙台白菜の栽培を今年から始めた若手農家もいる。仙台市若林区の大友裕貴さん(34)は試行錯誤を繰り返しながら、「仙台を再び白菜の名産地にしたい」と意気込んでいる。

 大友さんは弟と友人とともに、同区を中心に約7ヘクタールの畑で枝豆やブロッコリーなどを生産する中、冬場の収入源となる地元ゆかりの野菜を探していた。目を付けたのが仙台白菜だった。

 初めて食べた時の衝撃は今も忘れない。「柔らかくて、めちゃくちゃおいしかった。栽培されていないのはもったいない、伝統を引き継ぎたい、と強く思った」

 栽培は「壁」の連続だった。まずは種まき。農業用の種子はまきやすいようにコーティングされ、5ミリ程度の大粒になっていることが多い。だが、生産量の少ない仙台白菜は加工された種子がなく、1ミリ程度の種を扱わなくてはならない。小さな種子もまけるように機械を改造した。

 生育不良にも直面した。約1割が病気にかかり、葉が枯れた。風通しのよい潮風が当たる場所を選び、水はけをよくするために畝を通常より10センチほど高くした。

 手塩にかけて育てた仙台白菜は今月中旬から出荷が始まった。大友さんは「今年は市内、来年以降は東京にも出荷したい。そして10年後には全国に仙台白菜の名を知れ渡らせたい」と力を込める。

 「仙台白菜を味わう会」が25日午後5時から、石巻市蛇田の「スパイスガーデン」で開かれる。「仙台白菜松島純二号を守る会」の主催。県産銀ザケのミルフィーユ鍋などを提供する。30食限定で会費500円。白菜の予約販売も実施。問い合わせは「守る会」の星昭一代表(090・8612・8315)へ。

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