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瀬戸大橋線立ち往生、なぜ6時間も…救出プラン3案検討中に「想定外の事態」

読売新聞 / 2024年11月27日 16時52分

「非常用渡り板」見つからず

 JR瀬戸大橋線の瀬戸大橋上で10日、架線の切断によって快速が立ち往生し、乗客が最大6時間閉じ込められた事故は、JR四国が複数の救出方法を順番に検討する中で、救出に必要な「非常用渡り板」が見つからないという想定外の事態も重なり、対応に時間がかかった。同社の四之宮和幸社長は26日、事故後初めての定例記者会見で謝罪し、再発防止策を講じる考えを強調した。(黒川絵理)

 事故は10日午前7時40分頃に起きた。高松発岡山行きの快速「マリンライナー10号」が児島駅(岡山)手前約4キロの瀬戸大橋線上りで停車し、乗客150人が閉じ込められた。

 JR四国は列車が自走できないことから当初、同じ上り線で別の列車を連結し、運ぶ方法を検討。過去にあった車両故障による橋上での立ち往生は、この方法で対応した。しかし、今回は架線が切れて、同じ上り線が使えないことが約1時間30分後に判明し、断念した。

 次に、乗客に車両から降りて橋上を歩いてもらい、最寄りの島でバスに乗り換える方法を考えたが、バスの手配などができなかった。

 そこで、児島駅から走行可能な下り線で列車を向かわせ、快速に横付けして渡り板を通って乗客が乗り換え、運ぶ方法に決めた。

 列車の準備を始めたところ、児島駅に配備されている渡り板がマニュアルに記載された保管場所になかった。約1時間探しても見つからず、午前10時30分、同駅にいた社員が坂出駅まで車を走らせて取りに行くことに。渡り板が児島駅に着いたのは2時間後だった。

 救出用列車は午後1時頃に現場へ到着。乗客の乗り換えは30分後に完了し、岡山方面に輸送した。快速は架線の復旧後の同日夜、児島駅に収容された。

◆「訓練不足」

 救出が遅れた最大の要因は、渡り板が見つからなかったことだ。

 JR四国によると、1988年の瀬戸大橋開通に合わせ、児島、坂出、宇多津の3駅に配備。児島駅の渡り板は配備以来、一度も使われず、定期的な保管場所の確認も行っていなかった。

 今回の事故後、渡り板は駅内の別の場所で見つかった。同社の調査では、2013年に保管場所を変え、移動したとの記録は社内にあったが、マニュアルに反映されていなかったという。

 最終的な救出方法が決まるまで3時間かかったことについて、四之宮社長は記者会見で「お客様も救出できるため、列車の駅への収容を優先させたが、お客様の救済だけを優先すべきだったのではというのは後から思えば反省点だ」とした。そのうえで「いろいろな事例に対し、優先順位を判断する訓練が不足していた」とした。

 また、同社は、立ち往生中に乗客へ食料、飲料を届けることができなかったことも課題としている。

◆行き先変更

 現場はJR西日本管内との境目近くで両社が連携して救出にあたったが、救出した列車の行き先を巡っては意見の相違があった。

 両社は3年に1度、合同で非常時対応訓練を実施。13年には乗客の救出作業や現地確認作業を迅速に行うとする覚書を締結している。

 児島駅からの救出用の列車に関してJR四国は元々、乗客の乗り換え後、香川へ向かう計画で準備をしていた。これに対し、JR西は快速の行き先だった岡山側に向かうよう主張。行き先は1時間後、岡山側に変更された。

 JR西岡山支社の林秀樹支社長は11日の記者会見で「運行管理権はJR四国にあるが、もっと早いタイミングでもう少し強く提言することができたというのは、反省点があったんじゃないかと捉えている。非常時のコミュニケーションの仕組み作りはJR四国と一緒にやり、訓練も拡大したい」と述べた。

 四之宮社長も「今回のことを踏まえ、JR西とも改善点を協議したい」とした。

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