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倉本聰脚本、本木雅弘・小泉今日子共演「海の沈黙」…老練と純情を同居させドラマチックに「美」を問う

読売新聞 / 2024年11月28日 17時0分

「海の沈黙」から=(C)2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD

 真正面からドラマチックに迫ってきて、観客をのみこむ。普段は考えてもいなかったようなことを、我がことと感じさせる。倉本聰が原作・脚本を手がけた「海の沈黙」(若松節朗監督、全国公開中)は、そんな映画だ。本木雅弘が演じる孤高の画家の人生の最終章を、夕日のように赤く、炎のように熱く描き出す。(編集委員 恩田泰子)

 物語は、日本画壇の主流をなす一派の作品を集めた大展覧会の幕開けとともに、転がり出す。一派の中心人物である著名画家・田村修三(石坂浩二)の特集コーナーに「贋作(がんさく)」が展示されていたと判明するのだ。しかも、その出来栄えは「真作」よりも見事。地方の美術館に収蔵されていたその絵は、一体、誰が描いたのか。本木が演じる津山竜次という男の存在がじわじわと浮かび上がってくる。

 津山は、傑出した才能を持ちながらも、若き日に画壇を追われ、表舞台から姿を消していた。同門の画家、田村が、名声を手にし、師の娘にしてかつての津山の恋人、安奈(小泉今日子)を妻にしたのとは対照的に。贋作騒動は、津山のしわざなのか、それとも――。

 この「海の沈黙」は、物語と芝居をたっぷり楽しませながら、観客の価値観、人生観を問う。贋作とされた絵にほれこんだ、ある人物が残した、こんな言葉をフックにして。

 「作者が違うと判明した途端、その絵の評価が変わるというのなら”美”とは一体何なのでしょうか」

 普通は受け止めきれない大きな問い。だが、この映画を見ていると、素直に考えてしまう。尋常ならざる迫力をたたえたドラマに、たじろぎながらもひきつけられてしまう。

 この映画は、津山が描く最後の絵に似ている。画家の激情が、こってりと絵の具を塗り重ねて表現されていくように、この劇的なストーリーも、強度の高い演技と映像を重ねて描かれていく。老練な技術と審美眼をもって、ドラマチックを徹底的に貫く。

 中でも、津山の絵に思わぬ「赤」が加わる場面は、とびきり劇的、圧倒的。演じる本木の迫力は、「砂の器」のクライマックスでの加藤嘉級。そんな見せ場をだらだら映さず、どんどん進んで行くのも、この映画のいいところ、うまいところ。オープニングで映し出されるのは小泉の顔。その大人の女の顔に、ふと透明な光が宿る瞬間も印象的だ。

 最初は、石坂演じる「大先生」がすべてを手にしたように見える。だが、見るほどに、果たして本当にそうだろうかと思えてくる。画家はなぜ絵を描くのか、脚本家はなぜ脚本を書くのか、物語は何のためにあるのか。この映画は、果敢な表現をもって人の心を揺さぶり、視界をひらく。「美とは何か」という観念的な問いを中心に据えながらも、高踏的にならず、みんなに届く映画としてつくられている。

 脚本の倉本は1935年生まれ。70年代の「前略おふくろ様」や、81年から2002年まで放送された「北の国から」シリーズなど、テレビドラマ史に残る作品を手がけてきた。17年の「やすらぎの郷」もそうだったが、この人の脚本によるドラマに触れると、つくづく思う。誰もが楽しめる面白さと、世の中のありよう、人のありように対する鋭い問いは両立し得るのだと。若松監督と組んだ、この「海の沈黙」は、老練と、大人の純情が同居する、贅沢で熱い映画になっている。

 人は、日常を生きていると、つい目の前の損得勘定を優先してしまう。だが、この映画は、普段は置きざりにしてしまう大切なことと、観客を正面から向き合わせる。それこそが、ドラマを見るということの、真の効能ではないか、とも思う。

 ◇「海の沈黙」=2024年/上映時間:112分/配給:ハピネットファントム・スタジオ

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