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梅原大吾とスト2の出合い、ハマり方「尋常ではなかった」…明かされる幼少期の思い出

読売新聞 / 2024年11月29日 10時0分

eスポーツ界で活躍するプロゲーマーの梅原大吾さん(11月7日、東京都中野区で)=青木久雄撮影

 日本が世界に誇るプロゲーマーの第一人者、梅原大吾さん(43)。eスポーツのなかでも格闘ゲーム界のカリスマとして息の長い活躍を続けている。その原点は小学校に上がる前、かの有名な家庭用ゲーム機を「サプライズ」で手に入れたことだった。(読売中高生新聞編集室 星野達哉)

父の言葉は「世界一に」

 「僕がゲームを始めるきっかけになったのは、七つ年齢の離れた姉の影響でした。5歳ぐらいのとき、クリスマスプレゼントにファミコンを買ってもらおうと、2人で父におねだりしました。当時、ファミコンは高価だったので、『きっと買ってくれないだろうな』と、ほとんど期待はしていませんでした。ところが、驚いたことに何も言わずに買ってくれたんです。人生初めてのサプライズでしたね。そして、初めてプレーしたソフトが『スーパーマリオブラザーズ』で、そのときの感動は今でも鮮明に覚えています。

 父はゲームについては自由にやらせてくれたのですが、物心ついた頃から、繰り返し言われていたことがありました。『誰にも負けないものを持って、世界一になれ』って。子どもの頃は体が大きくて力も強かった。ガキ大将みたいな感じで、あまり先生の言うことを聞くタイプじゃなかったですね。当時はゲームをしてお金を稼いでいる人なんか全くいない時代なので、プロゲーマーになるという発想そのものがありませんでした。将来は世界一の『ケンカが強い人』とか『世の中を楽しませる面白い人』になれたらいいなと漠然ばくぜんと思っていました」

ゲームとの距離がグッと近づいたのは、小学5年生のとき。初めて目にした「アーケードゲーム」に衝撃を受けた。

 「当時はゲームセンターにあるアーケードゲームがブームで、街の駄菓子だがし屋や書店などにも置いているところがありました。ある日、家族でレンタルビデオ店を訪れた時、たまたまそこにもあったんです。迫力満点のサウンドや鮮やかなグラフィックに引き込まれてしまって、『なんだこの面白そうなゲームは!!』と衝撃を受けました。その日はビデオを借りて帰ったものの、どうしてもあのゲームをプレーしてみたいという衝動が抑えられず、親に内緒でレンタルビデオ店に通うようになりました。

 そうしてアーケードゲームにハマっていくうちに、一世を風靡ふうびした対戦格闘ゲーム『ストリートファイター2』にも出合います。今ではスマートフォンで見知らぬ相手とゲームで対戦できるのは当たり前ですよね。当時はインターネットが普及していない時代です。でも、ゲームセンターに行けば、その場にいる人とすぐに対戦することができて、全然知らない相手と勝負することもできました。僕にとっては、それがとても画期的で、ものすごく刺激的だったんです」

強い相手を求めて

やがて、より強い対戦相手を求めて、バスや電車に乗って隣町まで遠征するようになった。

 「あの頃は、おこづかいや何かを買ってもらったときのお釣りとか、子どもながらに自由に使えるお金は全てゲームに注ぎ込んでました。誰しも一度は何かにハマることってあると思いますけど、僕の場合は自分でも尋常ではなかったと思います。ゲームセンターに行かなかったのは、1年のうちに元日と大みそかの2日くらい(笑)。台風の日もビショぬれになりながら通い詰めてました。もともと『やるならとことんやる、やらないなら全くやらない』という性格なんです。

 14歳の頃には、ゲームでは周囲の誰にも負けなくなっていました。一方で、普通なら将来のことを考えて、嫌でも勉強しようって考える時期だと思います。だけど、僕の場合は、そんなことは一切頭にありませんでした。勉強は楽しくないからやらない、ゲームは楽しいからやるって。その時に楽しいと感じること、気持ちいいと思えることを優先しちゃったんですね」

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