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元楽天の銀次さん「毎日悔しい、悔しいと練習」「星野監督と出会わなければ…」プロ18年振り返る

読売新聞 / 2024年12月14日 11時45分

「子どもたちに野球の楽しさを知ってほしい」と話す銀次さん(11月9日、盛岡市で)

 プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスは球団創設20周年にあたる今季、「東北の子どもたちに笑顔を」をモットーに学校訪問や野球教室などを展開する「TOHOKU SMILE ACTION」を開始した。同球団で活躍し、現在はアンバサダーを務める岩手県普代村出身の銀次さん(36)も「ふる里に笑顔を」という思いで活動に参加している。銀次さんに現役生活やふるさとへの思いについて書面で聞いた。(聞き手・藤沢優介)

――2005年のドラフト会議で楽天に入団が決まった際の心境は。

 「東北に優勝をもたらすことを夢見ていた」

――11年の東日本大震災以降、地元・岩手への思いはどう変わったか。

 「当時はまだ23歳の若手だったが、岩手県出身者として、東北のプロ野球チームの一員として、自分が先頭に立っていかなければならないと自覚した。東北への思いが強くなる一方で、自分たちには何ができるのかと思い悩んでいた」

――思い悩む日々の中でも、レギュラーに定着できた要因は何か。

 「当時の星野仙一監督が『俺らは野球しかないから野球で元気にさせよう。スーパースターになる人間はどんなことがあっても明るくやる。前を向くぞ』と言葉をかけてくれた。その言葉を胸に、一心に誰よりも努力を続けたからレギュラーに定着できた」

――星野監督に対する思いは。

 「星野監督との出会いがなければ今の自分はない。自分を粘り強く起用してくれたことで、レギュラーに定着し、そこから引退まで10年近く選手を続けることができた」

――どんな思いで打席に立っていたのか。

 「東北に笑顔を、元気を届けようと、少しでも笑顔になってほしいと思い、一打席一打席魂込めて打席に入っていた」

――18年間、プロの世界で生き残れたのはなぜか。

 「毎日『悔しい、悔しい』と思いながら練習して試合に出ていた。悔しさをエネルギーに変えて、結果を出してきた」

――岩手と今後どのように関わっていきたいか。

 「生まれ故郷が大好きなので、形は違っても東北の皆さんに笑顔を届けることをライフワークにしていきたい」

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