1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

阪神大震災の犠牲者銘板に21人追加「両親と姉の名前を並べてあげたかった」…総数5068人に

読売新聞 / 2024年12月15日 9時30分

亡くなった姉と両親の銘板を取り付ける児玉さん(中央)(14日、神戸市中央区の東遊園地で)=代表撮影

 阪神大震災の犠牲者らの名前が刻まれた東遊園地(神戸市中央区)の「慰霊と復興のモニュメント」に14日、新たに21人の銘板が加わり、遺族らが亡き人をしのんだ。銘板の総数は5068人となった。(神戸総局 上田裕子、阪神支局 新谷諒真)

 「やっと3人が一緒になれた。天国で仲良くやってね」

 兵庫県芦屋市の医師児玉隆之さん(55)は、震災で犠牲になった姉・小亀寛子さん(当時36歳)と、震災後に亡くなった父・順三さん、母・章子さんの3人の名前が刻まれた銘板を取り付けると、心の中で語りかけた。

 児玉さんと両親が住む神戸市東灘区の家は全壊。3人とも無事だったが、嫁ぎ先の同県西宮市にいた寛子さんは、夫、長男とともに犠牲になった。寛子さんがとっさに覆いかぶさって守った長女だけが助かった。

 翌日、児玉さんは遺体安置所で寛子さんの遺体と対面した。体は氷のように冷たかったが、穏やかな顔をしていたという。

 両親は表面上、悲しむ様子を見せることはなかったが、順三さんは徐々に飲酒量が増えて2004年、肝臓がんで亡くなった。76歳だった。児玉さんは、21年に87歳で死去した章子さんが1人で泣いているのを何度も見たことがある。

 児玉さんは「2人ともあの日を境に明らかに様子が変わってしまった。震災によって両親の人生も狂わされた」と振り返った。

 今年1月、震災と直接関連がなく亡くなった人も銘板を追加できることをテレビの報道で知り、迷わず3人そろっての追加を決めた。「両親と姉の名前を並べてあげたかった。やっと親孝行ができ、安心しました」と顔をほころばせた。

「30年越しに再会できた」母の願いかなえた

 神戸市須磨区の都藤つどう明美さん(65)は、昨年12月に101歳で亡くなった母・景山万寿恵ますえさんの銘板を加えた。モニュメントには、父・巌さんの銘板が既にある。都藤さんは銘板に触れ、「30年越しに両親が再会できた。ゆっくり眠ってほしい」と祈りを込めた。

 両親が住んでいた同区の自宅は火災で全焼。2人は無事だったが、巌さんはその年の3月、心筋梗塞こうそくで急死した。万寿恵さんは数年前に大けがをするまで毎年、1月17日に巌さんの銘板を訪ね、「夫と同じところで眠りたい」と語っていたという。

 都藤さんは「母の希望をかなえることができて、ほっとしている。ここに両親がいると思ってまた訪れたい」と話した。

五百旗頭真さんや下河辺淳さんらも…復興に尽力

 この日は復興に尽力した人らの銘板も追加された。

 3月に80歳で亡くなった政治学者・五百旗頭いおきべ真さんは、教え子を亡くした経験から復興に携わり、東日本大震災では、復興構想会議の議長を務めた。元国土事務次官の下河辺しもこうべ淳さんは阪神・淡路復興委員会の委員長を務め、2016年に92歳で亡くなった。

 追加を要望したのは、被災者の生活支援に尽力してきた俳優堀内正美さん(74)。銘板を自ら貼り付け、目を潤ませた。2人が自身の活動を後押ししてくれたといい、「震災がなければ出会えなかった仲間で、戦友だった。ありがとう、お疲れさまと伝えたい」と話した。

 ほかに、神戸市出身の作家・陳舜臣さんらの名も加わった。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください