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渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆が死去、98歳

読売新聞 / 2024年12月19日 9時39分

渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏が19日午前2時、肺炎のため、都内の病院で死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営まれる。喪主は長男、睦(むつみ)氏。後日、お別れの会が開かれる予定。

 渡辺氏は11月末まで定期的に出社し、役員会や社論会議に出席して大所高所から本社の経営や社論を総覧していた。今月に入って体調を崩し、病院で治療を受けていたが、亡くなる数日前にも社説の原稿に目を通して点検するなど、最後まで主筆として執務を続けた。

 渡辺氏は東京都出身。東京大学を卒業後、1950年、読売新聞社に入社し、ワシントン支局長、編集局総務兼政治部長、専務取締役主筆兼論説委員長などを経て、91年に代表取締役社長・主筆に就任した。2002年の持ち株会社制移行に伴い、グループ本社代表取締役社長・主筆を2年近く務めた。その後、同会長・主筆を経て、16年から現職にあった。

 全国紙としての基礎を確立し、発行部数を日本一、世界一に押し上げて「販売の神様」と称された故・務台光雄名誉会長の下で経営を学んだ。渡辺氏の社長在任中、読売新聞の発行部数は1994年、初めて1000万部を突破した。2001年1月には、1031万91部の最高部数も達成している。

 渡辺氏は、読売新聞の論調として、中庸で現実的な視点に立った自由主義的保守路線を確立し、数々の「提言報道」で、言論機関としての新たな境地を開いた。特に1994年には「憲法改正試案」を発表し、自衛力保持や環境権の新設、憲法裁判所創設などを明記し、それまでタブー視されていた憲法論議に大きな一石を投じた。

 99年から2期4年間、日本新聞協会会長を務め、活字文化の振興や、戸別配達維持による健全な販売競争の実現に尽力した。2000年には、54年ぶりに新たな「新聞倫理綱領」を制定。「人権の尊重」を新たに項目に立てるなど、すべての新聞人が守るべき基本精神をうたい、報道界の倫理水準向上に貢献した。また同年、読売新聞の報道・言論活動の方向性を定めた新しい「読売信条」で、世界の平和と繁栄に貢献する「国際主義」などを打ち出した。

 1996年から約8年間、読売巨人軍オーナーを務めた。大相撲の横綱審議委員会委員長や、政府の財政制度審議会委員、有識者会議「情報保全諮問会議」座長などを歴任した。96年から98年までは政府の行政改革会議の委員として、当時の1府21省庁を1府12省庁に再編する報告書のとりまとめに尽力した。

 中曽根康弘氏、安倍晋三氏、岸田文雄氏ら歴代首相と親交が深く、政界はもとより各方面に強い影響力を持っていた。

 2007年には、言論・新聞事業を通じて社会文化に顕著な功績のあった新聞人に贈られる新聞文化賞を受賞。08年の秋の叙勲では、「多年にわたり新聞事業に携わり、業界の発展に尽力するとともに、報道文化の発展に貢献した」などとして、旭日大綬章を受章した。

 また、1996年には、フランス政府から芸術文化勲章最高位の「コマンドゥール」を授与され、2007年には、第54回カンヌ国際広告祭の「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。

 晩年にはNHKの長時間インタビューに応じ、内容は20年から21年にかけて、「昭和編」「戦争と政治」「平成編」と3回にわたって放送され、大きな反響を呼んだ。今年5月には若き日に執筆した「派閥と多党化時代」が復刊された。

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