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「終生一記者」貫く…渡辺恒雄主筆死去、提言報道や戦争責任追及を主導

読売新聞 / 2024年12月19日 13時53分

亡くなった渡辺恒雄主筆。AKB48の高橋みなみさんと対談した(2012年5月)

 19日死去した読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏は長年、第一線にあって新聞界を牽引けんいんし続けた。最後まで自らを「終生一記者」と任じ、言論を通して日本の行く末を思う信念は衰えなかった。

 渡辺氏は1926年(大正15年)、東京都に生まれた。開成中学を経て旧制東京高校に進学し、参考書の代わりに、カント、ショーペンハウアー、ニーチェ、西田幾多郎などの哲学書を次々と読破した。45年に東京帝国大学文学部哲学科に入学した直後、陸軍に召集され二等兵となり、終戦を迎える。経験者として、戦争の愚を二度と繰り返してはならないとの思いを強く抱いた。

 戦後、共産党に入党し、学生運動を展開したが、「警察のスパイ」の嫌疑をかけられ党から除名される。49年に東大を卒業し、50年11月、読売新聞社に入社した。

 52年から政治部記者となり、吉田茂氏以降の歴代首相を取材した。衆院議長、自民党副総裁を務めた大野伴睦氏の知遇を得て頭角を現した。62年12月、日韓国交正常化交渉に関連し、当時の大平正芳外相と韓国の金鍾泌中央情報部長(ともに後の首相)とが交わした極秘合意メモの報道など、スクープ記事も多く放った。

 30代の時に書いた「派閥」は、自民党の各派閥について実証的に分析し、「党内デモクラシーの確保と、党内運営の効率化という二面の効用」を持ち、「単純な解消は、党首独裁制への道に通ずる大きな危険」があると評した。「派閥」は古典的名著として、今日に至るまで政治家、政治学者に読まれ影響を与え続けている。

 若き日の中曽根康弘元首相とは勉強会・読書会を通じて意気投合し、生涯の盟友となった。後に発足した中曽根内閣では、首相のブレーン的存在となった。

 読売新聞社では、政治部長を経て、79年に取締役論説委員長に就任。世論におもねることのない、「30年後の検証にも堪えうる、ぶれない社説」を展開した。

 中でも特筆すべきは、ほとんどの新聞社が反対した売上税、消費税の導入を早くから鮮明に打ち出したことだ。渡辺氏はのちに、「普通の生活者にとって税金は安い方がいい。公共サービスの水準は高い方がいい。しかしそれは両立し得ないし、財政健全化と社会保障の確立のためには欧州各国並みの税制にするほかにないと考えた」と振り返っている。

海外要人とも交流

 90年代には読売新聞の発行部数が1000万部を超えるようになり、渡辺氏は「提言報道」を決断した。国民への影響力の大きさを踏まえ、議論さえはばかられていた憲法改正をはじめ、様々な分野で具体的に問題提起を図り、国民的議論を広く呼び起こそうと考えたからだ。

 憲法改正を巡っては、編集局、論説委員会、調査研究本部などでつくる「憲法問題研究会」を設置し、94年11月3日付朝刊で、「憲法改正試案」を発表した。護憲派は猛反発し、他の新聞社からは「言論機関の使命からの逸脱だ」との批判を浴びた。だが、この提言をきっかけに政党はもちろん、他社からも提言が相次ぐようになり、憲法論議が活発化するようになった。先鞭せんべんをつけた意義は極めて大きかった。

 さらに、読売新聞は、安全保障、税制、社会保障、行政改革など多くの提言を重ねた。これらの中からは、政府の施策に生かされているものも少なくない。

 戦後60年となる2005年から1年間にわたって連載された大型企画「検証・戦争責任」は、日本人自らの手で戦争責任の所在を明らかにしようとの試みで、内外の声価を高めた。これも、陸軍二等兵として戦争を知り、「軍国主義の愚を二度と繰り返してはならない」との渡辺氏の強い意向によるものだった。渡辺氏は20年8月に放送されたNHKのインタビュー番組で、「何百万人も殺して、日本中を廃虚にした連中の責任を問わなくて、いい政治ができるわけない。若い人たちに戦争を知らせないといけない、戦争責任のキャンペーンをやらないと進まないというのが僕の気持ちだった」と振り返っている。

 米国のヘンリー・キッシンジャー元国務長官、韓国の金鍾泌元首相ら海外の要人とも交流を持った。17年11月には来日したトランプ米大統領(当時)と夕食会で会話を交わした。「読売新聞はやみくもに政権批判はしない」と伝え、トランプ氏に驚かれたという。

 死去する直前まで、景気回復、少子高齢化に伴う社会保障改革の行方、日本を取り巻く安保環境の悪化などを気にかけていた。

 12年に「反ポピュリズム論」を刊行したように、ポピュリズム(大衆迎合主義)の蔓延まんえんには危機感を強めていた。SNSを通した偽情報、中傷の広がりも憂えていた。抑制するには、「教養の基盤」である活字文化の維持こそが欠かせない、との信念は揺るぎなかった。

 渡辺氏はこう語っている。

 「こうした弊害と戦って、子どもに正常で健康な教育を受けさせ、生活情報や国際情報を含めたすべての情報を体系的、正確なもので、強化していくためには、どうしても活字文化が必要であり、これから活字文化は、ネット情報と戦って、本来の役割を取り戻さなくてはなりません。それが我々新聞人の使命であると思います」(18年1月、読売新聞販売店の所長会議で)

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