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渡辺恒雄氏死去、ドラフト改革や交流戦導入など球界の発展に情熱…巨人軍歴代監督と本音議論

読売新聞 / 2024年12月19日 23時41分

日本シリーズ優勝祝賀会で乾杯する巨人の藤田監督(左端)と渡辺副社長(当時)=1989年10月

 読売巨人軍のオーナーや球団会長などを歴任した渡辺恒雄氏が19日死去し、関係者から哀悼の声が相次いだ。プロ野球を力強く牽引けんいんしたリーダーシップは、球界の発展に懸ける並外れた情熱が支えていた。

 1996年にオーナーになった渡辺氏は、ドラフト改革や球団の新規参入、交流戦の導入など、球界の発展に尽力。2005年に球団会長となって以降も改革に力を注いだ。

 「『巨人愛』を表に出すのと同時に(球界)全体が繁栄することをいつも頭に入れていた」と、広島の松田はじめオーナーは述懐する。悲報に触れて、思い出したのは、渡辺氏が携行するボロボロになった野球協約の冊子。付箋だらけで、あちこちに赤鉛筆で線が引かれ、常に球界の将来を見据えていたという。「広島という地域球団のことも理解してくれていた」としのんだ。

 オリックスと近鉄の合併交渉が発端となった04年の「球界再編」では1リーグ制導入も検討され、各球団の代表者や選手らが激論を交わした。2リーグ制維持を主張した野崎勝義・元阪神球団社長は「人脈も豊富で、すごいパワーを持った方。意見は異なったが、球界発展を願う気持ちは同じだった」と振り返った。

 球界再編を機に新規参入を果たした楽天の三木谷浩史オーナーは「様々な機会に深い洞察のご助言もいただき、球界を背負う大きな責任を感じた」と感謝の談話を出した。

 野球に対する情熱は現場からも敬意を集めていた。

 16年から巨人の監督を3季務めた高橋由伸氏は、監督就任に際し、東京・大手町の読売新聞東京本社で2人きりで話した時間を懐かしむ。山積みの本に囲まれた渡辺氏の部屋で1時間近く、理想の指導者像などについて話し合い、参考となる書籍も薦めてもらった。

 シーズン開幕前の激励会では、同じテーブルで話し込み、シーズンの展望や選手起用、球団の歴史まで熱く語り合ったという。渡辺氏は日本酒を手酌で飲みながら、高橋氏の意見に「そうか、そうか」と耳を傾けた。高橋氏は「最後はテーブルで2人きりになって話した。世間的には『怖い』『厳しい』というイメージもあったようですが、私には優しい方で、年の差のある私の本音に向き合ってくださった。心よりご冥福めいふくをお祈りします」と語った。

 04、05年に監督を務めた堀内恒夫氏は「理路整然と話される一方、人情家でもあった。チーム状態が上向かない時も『ちょっと苦しいかもしれないが、頑張ってくれ』と励ましてもらうことも多かった」と語った。

八角理事長「大相撲に深い理解と愛情」

 渡辺氏は1991年から約14年にわたり、大相撲の横綱審議委員会(横審)の委員を務めた。委員長時代の2002年7月には、横審が7場所連続休場していた横綱貴乃花に「秋場所は横綱の相撲が取れる状態で臨んでほしい。それができないのであれば、自ら潔い判断を下すべきだ」と勧告した。

 日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は談話で、「突然の訃報ふほうに接して、思いがけないことゆえ、驚いております。生前は大相撲に対し、深いご理解と愛情を示され、横審委員、横審委員長を歴任されました」と弔意を表した。

スポーツ庁・室伏広治長官「プロ野球を国民的な人気スポーツに押し上げただけでなく、大相撲や箱根駅伝なども含めて日本スポーツ界の発展に貢献されてきた。その功績に対して感謝と敬意を表しますとともに、謹んでご冥福めいふくをお祈り申し上げます」

日本スポーツ協会・遠藤利明会長「プロ野球の発展はもとより、『日本スポーツ賞(読売新聞社制定)』でスポーツ選手への顕彰を進めるなど、日本のスポーツ界に多大なるご貢献をいただきました。スポーツ界を代表して、謹んでご冥福めいふくをお祈りいたします」

日本サッカー協会・川淵三郎相談役「Jリーグ開幕当時、渡辺さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天ふぐたいてんの敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさにJリーグの恩人。心から感謝しています」

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