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明智光秀が「寺に米寄進」と伝えた書状の原本、45年ぶりにゆかりの大津の寺で再発見

読売新聞 / 2024年12月20日 15時0分

見つかった寄進状の原本(手前)と包み紙(大津市で)

 大津市の「聖衆来迎寺しょうじゅらいこうじ」で、明智光秀が仏に供えるための米を寺に寄進すると伝えた寄進状が見つかり、19日、滋賀県立琵琶湖文化館(大津市)が発表した。戦前の調査で同寺にあると知られていたが、原本は約45年間にわたって行方が分からなくなっていた。

 寄進状は縦30・6センチ、幅44・6センチ。和紙に「仏供料として78石9斗2合の米を寄進する」との内容で、1577年(天正5年)9月27日の日付で「明智光秀」の署名と花押があり、少なくとも花押は直筆という。折りたたまれた状態で、先々代住職の山中忍海大僧正の筆跡で「明智光秀寄進状」と書かれていた包み紙にくるまれていた。

 この寄進状は、東京大史料編纂へんさん所の写しで存在が知られていたが、原本は山中氏が死去した1979年以降は所在不明だった。

 今年10月、現住職の山中忍恭氏が庫裏で遺品を整理した際、袈裟けさなどを保管していたタンスから見つかった。忍恭氏は「在任中に見つかり安堵あんどした」としており、寄進状は同館に寄託する予定。

 同寺には坂本城から移築したとされる表門があり、光秀とのゆかりが深い。記者会見した同館の井上優副館長は「光秀が地域の寺院に信仰を寄せた歴史に光が当たる」と寄進状が見つかった意義を強調した。

 また、光秀は寄進状を出した時点では「惟任」か「日向守」と記すはずだったといい、光秀の文書に詳しい大山崎町歴史資料館(京都府)の福島克彦館長は「あえて『明智』としているのは異例。さらなる研究が必要で興味深い」とコメントした。

 寄進状は来年1月7日~2月4日、近江八幡市の県立安土城考古博物館で展示される。

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