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原口元気が憧れた男は「ダントツで…」、今まで一番だと思っていた自身の前に現れた「ライバル」

読売新聞 / 2024年12月24日 10時0分

ゴールを決めて喜ぶ福田正博さん(左)(1999年11月17日、駒場スタジアムで)

 サッカー・J1浦和レッズの原口元気選手が、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。サッカーとの出会いや同世代のライバルたちについて、レッズ時代に一緒に戦った番組MCの槙野智章さんと語った。

憧れは「ミスター・レッズ」

 原口選手の父親がサッカーと出会うきっかけ。サッカー好きの父親とボールを一緒に蹴っていたという。幼稚園の時にサッカースクールに入り、地元・浦和レッズの試合にも足を運んだ。

 原口少年が憧れた選手は?

 「ダントツ、福田(正博)さん。見に行く試合はやっぱ浦和の試合だったから、福田、岡野、ギド(ブッフバルト)とか」

 福田正博さんは、浦和レッズの前身、三菱重工業サッカー部時代からの生え抜き選手で、1995年にはJリーグ得点王にも輝いている。

 「(福田さんは)象徴。ミスター・レッズ。点を取るのは福田さんだったし、ヒーローだよね」

 槙野さんも同じような経験を振り返る。

 「小学生の時って、選手と話したり、写真撮ったりってすごい覚えてる」

 「当時のサンフレッチェ広島で森保一選手(現・日本代表監督)にサッカーを教えてもらって写真を撮ってもらった。そういう子どもの頃の経験って大きいよね」

小学生サッカーで日本一

 原口選手は小学校の頃、地元の「江南南サッカー少年団」(埼玉県熊谷市)に所属。2003年には全日本少年サッカー大会で優勝した。

 「間違いなく、才能はあると思っていた」

 「小学4年の時にも全国大会にレギュラーとして出ていたけど、その大会でうちの監督が『今大会で一番うまいやつはお前じゃない。こいつだ』って言ったのが(2学年上の)清武(弘嗣)だった」。清武選手とはその後、A代表で一緒に戦うことになる。

 小学生の頃からプロサッカー選手になれると思っていたか?

 「疑ったことは一度もないかな。問題はどれだけ早くなるかみたいな」

宇佐美貴史というライバル

 中学に上がると、浦和レッズのジュニアユースに所属した。1学年下のライバルが出現する。「西の宇佐美、東の原口」。ガンバ大阪ジュニアユースの宇佐美貴史選手(ガンバ大阪)。

 「覚えてる。当時はYouTubeとかも発達してないから、『なんかすごい奴いるらしいよ』みたいなうわさ話から始まるわけ。初めて見た時にうまくてびっくりしたね」

 「そこからだよね。ずっと俺の20歳とか、21、22、23歳くらいまで、ずっと俺の中に宇佐美という存在が頭の中にずっといた。ポジションもスタイルもほぼ同じだったし、世代別の代表で一緒になってもポジション争いになる。常に意識してた存在だった。完全なるライバル」

 それまで一番だと思っていたが、自分より上かもしれないと思った選手がいた。

 「もちろん負けたくなかったよ。本当に初めて自分よりうまいかもって思った。負けたくないから必死になれた。でも才能で言ったら、貴史の方が上にいるかもなって、客観的には思ってた」

 ライバルが近くにいたことが成長につながったという。

 「自分の中でどんどん火がつく材料になってたから、今思うと本当に貴重な存在かな」

プロフィル

原口 元気(はらぐち・げんき)

浦和レッズのジュニアユースから、2008年にトップ登録。ナビスコカップ・名古屋グランパス戦で公式戦デビュー。09年にプロ契約。14年にドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンに移籍。ハノーバー、ウニオン・ベルリンなどでプレーし、日本代表にも定着。代表通算74試合出場、11ゴール。24年9月に浦和レッズに復帰した。1991年生まれ、埼玉県出身。

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