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化学兵器の爪痕残るシリア、市民「早く普通の生活を」…やっと口にできる「地獄のような」苦難の日々

読売新聞 / 2024年12月23日 7時22分

化学兵器による攻撃で妻と2人の子を亡くしたヌサイルさん。後方の建物の屋上にミサイルが落ちた(20日、ダマスカス郊外ドゥーマで)=田尾茂樹撮影

 【ダマスカス=田尾茂樹】シリアのアサド政権崩壊を受け、かつて反体制派の拠点で政権軍から化学兵器による攻撃を受けたシリアの首都ダマスカス郊外のドゥーマでは、市民らが抑圧された苦難の日々を語り始めた。激しい戦闘の爪痕が残る中、市民らは「一日も早く普通の生活を取り戻したい」と願っている。

 2018年4月7日午後7時頃。自宅前にいたハレド・ヌサイルさん(32)は、ヘリコプターから、パラシュートでゆっくりと隣の民家の屋根に落ちてくるミサイルを目にした。「プシュー」と何かのガスが噴き出す音を聞き、慌てて逃げる途中で意識を失った。地下の診療所で未明に目覚め、自宅前に戻ると、通りは遺体で埋まっていた。

 オランダ・ハーグの化学兵器禁止機関(OPCW)が23年に公表した報告書は43人が死亡したとしているが、ヌサイルさんは「70人以上の遺体があった」と証言する。妊娠中の妻、1歳と3歳の息子2人も犠牲になっていた。

 ヌサイルさんは以降、何度も悪夢にうなされ、体が自由に動かない後遺症に悩まされた。2年前に再婚し、双子を授かったが、家族を奪われた苦しみは続いた。

 そして今月、政権が崩壊した。「ずっとこの日を待っていた。これからは穏やかに暮らしたい」と話すが、気持ちが完全に晴れたわけではない。反体制派を弾圧した政権のトップ、バッシャール・アサド前大統領が裁かれていないからだ。

 反体制派が拠点としたドゥーマと周辺地域では、12年頃から政権軍との戦闘が始まり、18年にはドゥーマ中心部が政権軍に包囲されていた。化学兵器が使われたのは、そんな状況だった。

 当時、地下の診療所で看護師として勤務していたアナス・ディジさん(29)は診療所に来た被害者の様子に衝撃を受けた。次々と倒れ、意識を失う人のほか、肌が黒っぽく変色し、口から泡を吹き出す人もいた。「地獄」のような光景に「こんなことが許されていいのか」と憤りを抑えられなかった。

 その後、反体制派の戦闘員は撤退した。街を制圧した政権軍は遺体を隠し、あたり一帯に薬品をまくなどしていた。化学兵器の痕跡を隠そうとしていた可能性が高い。街は厳しい監視下に置かれ、あの日何があったのか話すことも許されない日々が続いた。

 復興も進まず、廃虚と化した建物があちこちに残る。海外からの支援も政権が収奪していたとの見方が強い。ディジさんは「何年かかっても、かつての街の姿を取り戻したい」と語った。

攻撃200回超 市民1413人死亡

 在英の民間団体「シリア人権ネットワーク」は今年8月、アサド政権による化学兵器を使った攻撃が2012年12月から200回以上に上り、市民1413人と戦闘員94人が死亡したとする報告書を公表した。

 シリアは国際社会の批判をかわすため、13年10月に化学兵器の全廃を定めた化学兵器禁止条約に加盟し、全廃を宣言した。だが、化学兵器禁止機関(OPCW)に申告した保有量は虚偽で、全廃宣言後も化学兵器の使用を続けていたとされる。

 OPCWは、塩素ガスやサリンなどが使用されたとみている。シリア暫定政権は、化学兵器の貯蔵庫とみられる場所を監視し、安全確保のため「国際機関と連携している」と強調する。

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