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能登49地区の孤立、県は想定も対策もなし…諦めの境地の住民ら「本当はここで死にたいんだ」

読売新聞 / 2024年12月24日 5時0分

大きく崩れ落ちた道路に肩を落とす中さん(2日、石川県輪島市で)

[能登地震1年]<2>

 日本海に面する石川県輪島市の西保地区は、この1年で2度、孤立した。1度目は元日の地震、2度目は9月下旬の大雨。いずれも土砂崩れで道路が寸断された。「口では復興と言うけれど、内心は皆諦めとる」。中幸雄さん(74)は2日、分厚い泥に覆われた地区公民館でつぶやいた。ここの館長を務めている。

 中さんの自宅は山あいにある。地震では、潰れずに残った中さん宅の車庫に近所に住む10人が避難した。94歳を筆頭に大半が70~80歳代。電話がつながらず、救助を呼べない。電柱がバタバタと倒れ、停電した。食料はコメや野菜、おせちを持ち寄った。夜は余震できしむ壊れた自宅に戻り、おびえながら眠った。

 1月10日頃、車庫にいた70歳代の女性が低体温症で意識を失った。中さんらが女性を担いで土砂が崩れた現場まで運び、徒歩でやって来た自衛隊員に託して何とか病院につなげた。自衛隊のヘリコプターで中さんらが救助されたのは17日。この後、この年初の風呂につかった。

 450人以上いた西保地区の住民は、道路が仮復旧した4月以降、ぽつぽつと避難先から戻り始めた。このときはまだ、道が直れば、家を直せば復興できると信じていた。

 激しい雨が奥能登を襲った9月21日朝。公民館へ避難した中さんら住民11人は、そばを流れる桶滝川が瞬く間に増水し、近くの建物の2階へ移った。その直後、濁流が公民館を襲った。再び孤立し、23日にヘリで救助された。「もう終わりや」。ヘリに乗り込む際、住民らは口々に漏らした。

 泥をかぶったままの田んぼ、大きく壊れた道路……。「よくまあ、こんなところに生まれたもんだな」と中さんは思う。そして、「何がなくても古里がいい。本当は皆、西保で死にたいんだ」と吐露した。

 能登半島地震では、石川県奥能登を中心に計49地区が孤立した。道路が至る所で寸断され、通信もつながらず、県や市町は実態把握に苦労した。

 県が災害時の孤立を想定していたのは、49地区のうち19地区にとどまる。県幹部は「道が1本だけなど、内閣府の条件をもとに単純に算出した」と説明し、複数の道路が同時に寸断されることは考えていなかったという。西保地区は19地区の一つだったが、「特段の対策もなかった。あんな大災害が起きるとは誰も思わない」とも語った。

 能登半島地震を教訓に、孤立集落をどう支援するのか各地で模索が続く。

 県は11月、関係101機関が参加する防災訓練を実施し、通信大手KDDIなどと連携してドローンによる物資配送を検証した。輪島市は来年3月までに、孤立の懸念がある3地区に衛星通信網「スターリンク」を導入する。

 南海トラフ地震への備えを進める大分県は防災対策を見直し、孤立が予想される地区の自主防災組織や個人宅に、食料などの備蓄を決めた。岐阜県は今月、孤立予想地域がある28市町村分の発電機や浄水器などの緊急用資材を県施設に配備した。3日分の食料と一緒にパッケージにして、有事にヘリで運ぶ態勢を取る。

 輪島市や能登町では集団移転の検討も進む。宮島昌克・金沢大名誉教授(地震防災工学)は安全な場所への集住が「現状では最善の選択肢」とした上で、「生まれ育った場所で住み続けたいという意思の尊重も大事。孤立することを前提に、避難所などに衛星電話や自家発電機の配備などを平時から行うべきで、国の財政支援も必要だ」と指摘する。

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