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シリアで大規模な反体制デモ呼んだ「落書き」、あの日の少年は「自由な国」造り誓う

読売新聞 / 2024年12月24日 15時20分

自身が落書きした小学校の壁の前で、「いつか勝利すると信じていた」と話すムアウィヤ・サヤスネさん。落書きは間もなく消されたという(21日、シリア南部ダラアで)

 アサド政権が崩壊したシリアの南部ダラアに、14年近くこの時を待ち続けた男性がいる。独裁批判の落書きによって当局に拘束され、大規模な反体制デモが始まるきっかけをつくったムアウィヤ・サヤスネさん(30)だ。「50年超の独裁政権を倒したことを誇りに思う」と喜びをかみしめ、新たな国造りに尽くすと誓っている。(ダラア 田尾茂樹、写真も)

アサド政権崩壊は「誇り」

 「次はおまえの番だ、先生」。自宅そばの小学校の壁に、サヤスネさんがこう記したのは2011年2月初旬。チュニジアで独裁政権が崩壊し、エジプトで反体制デモが続くなど、民主化運動「アラブの春」が中東各地に広がろうとしていた時期だ。「先生」が、元眼科医のバッシャール・アサド大統領(当時)を指していたのは明らかだった。

 当時16歳。落書きによって何が起きるか深く考えなかったという。だが、「両親も祖父母も、自由に何も話せないと憤っていた。何とか現状を変えたいという思いがあった」と振り返る。

 その日のうちに他の少年2人とともに拘束され、収容施設で激しい拷問を受けた。電気ケーブルでぶたれ、両腕に手錠をかけられて長時間、天井からつるされた。「もう二度と外に出られない」。そう覚悟した。

 だが、同年3月18日、思いも寄らぬことが起きる。自分たちの釈放を求め、ダラアで数千人のデモが始まったのだ。政権批判がタブーだったシリアでは、異例の規模だった。懐柔を図る政権は翌日、サヤスネさんらを釈放した。拘束は45日間に及んだが、もはや恐れるものは何もなかった。数日後にはデモに加わっていた。

 一方の政権側は弾圧を強め、市民を容赦なく殺害していく。仲間が次々と犠牲になる中、数か月後には反体制派武装組織「自由シリア軍」に参加し、武器を手にした。以降、これまで平穏に暮らせた記憶はほぼない。21年には一時、トルコに逃れたこともあった。

 それだけに今年11月27日、反体制派の中核組織「シャーム解放機構」の大規模蜂起を知った際は、「ついにこの日が来た」と身震いした。自らも「自由シリア軍」の一員として参戦。ダラアを制圧し、首都ダマスカスに駆けつけた時点で、政権は既に崩壊していた。

 ダラアでは多くの建物が破壊され、手つかずのままだ。他の都市やヨルダンへ避難し、戻れない住民も多い。だからこそ「争いのない、自由で尊厳が守られる国にしたい」と力を込める。

 シャーム解放機構をはじめ、トルコが支援する「シリア国民軍」など様々な組織が混在する中で、結束できるかどうかが大きな課題だ。18年に結婚し、翌年には息子ができた。新たな家族のことも思い、訴えた。「次の世代のために我々は団結しなければならない」

トルコ外相、シリア旧反体制派と会談

 【カイロ=西田道成】トルコのハカン・フィダン外相は22日、シリアの首都ダマスカスを訪問し、シリアの暫定政権を主導する旧反体制派「シャーム解放機構」(HTS)の指導者アフマド・アッシャラア氏と会談した。アサド政権崩壊後、主要国の外相によるシリア訪問は初めて。旧反体制派を支援するトルコは、いち早く関係構築を進めることで、影響力を高める狙いだ。

 アナトリア通信などによると、フィダン氏は会談後の共同記者会見で、シリアの政権移行を支持する姿勢を表明した。シリア再建と難民の帰還のために「国際社会は新政権を強力に支援すべきだ」と述べ、シリアに対する制裁解除の必要性を訴えた。敵対するシリア北東部を支配するクルド人勢力については、「シリアに居場所はない」として、追放するよう求めた。

 一方、アッシャラア氏は、クルド人勢力の支配地域を含め、「国家以外のいかなる勢力にも武器の所持は認めない」と強調。新たな国軍の発足に向け、近く委員会を設置する考えを示した。

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