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末期がんのピアニスト、宣告余命超え希望の「第九」コンサート開催へ…あと4日「絶対に見届ける」

読売新聞 / 2024年12月24日 14時0分

合唱の練習でピアノを弾く竿下さん(1日、京都府京田辺市で)=川崎公太撮影

 末期がんを患う京都府京田辺市のピアニスト竿下さおした和美さん(50)が主催する合唱コンサートが28日、府立けいはんなホール(精華町)で開かれる。今夏までの命と医師から告げられていたが、あえてその先の開催に決め、つらい抗がん剤治療に耐えてきた。本番まであと4日。竿下さんは「絶対に見届ける」と誓う。(京都総局 相間美菜子)

 「よく声が出ていますね」。今月1日、京田辺市の幼稚園で、竿下さんはベートーベンの交響曲第9番(第九)をドイツ語で歌い終えた子どもから高齢者まで約100人に優しく声をかけた。

 合唱コンサートに向けた練習だ。竿下さんは抗がん剤の副作用で吐き気とだるさがつきまとい、足はパンパンにむくんでいる。それでもこの日、自らピアノを弾いた。「人より死が現実味を帯びて近くなったから、生きる内容を求めるようになった」

 竿下さんは5歳でピアノを始め、高校は音楽科に進学。京都市立芸術大に進み、在学中からプロのピアニストとして全国各地で演奏を重ねた。

 コンサートでは、自分のピアノを聴く人が笑顔になっていく。「音楽は人を幸せにする力がある」と実感し、「街中に音楽をあふれさせることで、世の中が平和になっていく」と考えるようになった。

 2020年、NPO法人「京田辺音楽家協会」を設立。理事長として多くのコンサートを手がけ、裏方にも魅力を感じた。「幼少期からシニアまで、ずっと音楽がそばにあってほしい」との願いから、3世代が一緒に歌うコンサートの開催が目標になった。

 充実した毎日を送っていた昨年2月、せきが止まらなくなり、病院で受診。ステージ4の肺腺がんだった。医師から「進行しており、手術はもう施せない」と言われ、宣告された余命は1年半だった。

 竿下さんは「悲壮感はなかった」と振り返る。真っ先に頭に浮かんだのが、3世代のコンサートだった。合唱曲には、自身の音楽への思いと同じ平和への願いが込められた第九を選んだ。

 第九の合唱は年末の風物詩。一方、コンサートは準備に時間がかかり、その年の年末だと開催が間に合わない。竿下さんは生き抜くと決意し、開催日を今年の年末に決めた。

 第九の合唱はドイツ語で、子どもたちにはハードルが高い。それでも「音楽の喜びを受け継いでいってほしい」との気持ちから、近隣の小中学校に呼びかけた。36人が集まり、今夏から月2~3回、幼稚園などで練習を続けた。

 竿下さんは、抗がん剤治療で2度入院したものの、体調は安定している。この夏以降、主治医から「がんが小さくなった」と言われたという。

 治療は意識せず、「一日一日を楽しく過ごしたい」と音楽のことばかり考えて過ごしている。「心がぽかぽかすることをしているのが、がんに良い影響を与えたのかな」と笑顔を見せる。「まだまだ生きる」と前を向き、来年の手帳にも、次の第九コンサートの日程を書き込んだ。

 同協会の理事、堀山理恵さん(52)は竿下さんから病気のことを聞き、悲しく、協会の活動に不安を感じたという。だが、「竿下さんは未来を見ていた。病気のせいで『できない』ではなく、『どうしたらできるか』を考える姿に、法人のみんなが力をもらっている」と話す。

 コンサートは800席。当日の演奏はオーケストラで、竿下さんは全体を見渡し、進行する「ステージマネジャー」を務める。「突然の病気やけがで当たり前だった日常は変わる。今、目の前にある幸せを感じられる豊かな年末をみんなで過ごしたい」

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