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高橋まつりさん母「誰もが安心して働ける国に」…手記公表「どんなに時が過ぎても大切な愛しい娘」

読売新聞 / 2024年12月25日 0時0分

高橋まつりさん=遺族提供

 大手広告会社・電通(東京)の新入社員だった高橋まつりさんが24歳の時、長時間労働による過労で命を絶ってから、25日で9年となった。母親の幸美さん(61)が手記を公表し、「誰もが安心して働ける国に」と過労死の根絶を訴えた。

 2015年入社のまつりさんは、生きていれば今年で10年目の節目を迎えていた。幸美さんは手記で「充実した人生を生き、将来に夢を描いていたかもしれない」と思いを巡らせた。

 電通が過労死の再発防止に取り組んでいることに言及しつつ、「大切なのは、プロジェクトのために睡眠時間を削る社員に対し、会社が何をするべきかを考えること」と指摘。「残業時間が長い社員は、知らないうちに病気になる危険が高いことを絶対に忘れないでほしい」と呼びかけた。

 今年で、過労死防止を国の責務と定めた「過労死等防止対策推進法」の施行から10年。長時間労働などで精神疾患を発症する人は後を絶たず、23年度に労災認定を受けた人は過去最多の883人(うち自殺・自殺未遂が79人)に上った。

 過労死対策を議論する国の協議会委員を務めている幸美さんは、そうした実態にも触れ、「国は遺族の意見を本気で聞き、対策を見直して」と要望。「誰もが安心して働き、希望を持って人生を送れる国になるよう願い、まつりとともに力を尽くしたい」と結んだ。

美幸さんの手記全文

公表した手記の全文は以下の通り。

 まつりがいない9回目のクリスマス。12月はいつも心がざわざわします。言葉で表すのは難しいですが、まつりを助けられなかったあの日が近づくからです。たとえ「電通過労死事件」が人の記憶から消えても、どんなに時が過ぎても、まつりは大切な愛しい娘。一生忘れることはありません。

 2015年、まつりは希望を持って電通に入社しました。新入社員研修でアイデアが採用されてラジオで放送されたことや、研修の最後のプレゼンで優勝したことを嬉しそうに電話してきたことが昨日のことのようです。

 今年は「入社10年目」。同期入社のみんなは「入社10周年同期会」をしたそうです。在職中の人も退職した人も一緒でした。

 もしまつりが生きていたら、参加していたかもしれません。

 10年目の社員として、後輩社員のロールモデルになれるように頑張っていたかもしれません。やりがいをもって生き生きと働いて、休日には大好きな人たちと過ごして、充実した人生を生き、将来に夢を描いていたかもしれません。「あんなに頑張って生きていたんだから、絶対に幸せになってほしかった」そう思うと悔しくてたまりません。

 まつりが亡くなった後、電通が過労死の再発防止を約束して8年になります。これまで様々な取り組みを行って、2年で残業時間を6割削減したそうです。娘がやっていたデジタル広告の「とてつもなく時間がかかる作業」はAIがやるようになったそうです。制度を整えて、グループ各社で女性活躍推進企業「えるぼし認定」などを取得したそうです。娘がいた頃も制度はありましたが、長時間労働や残業隠し、ハラスメントに苦しんでいる社員が沢山いました。娘の他にも社員の過労死がありました。電通があの頃の社風を変えようという姿勢はわかります。全体的には残業時間を減らすことはできているのかもしれません。今最も大切なのは、プロジェクトのために睡眠時間を削って残業をしたり、休日出勤をしている社員に対して、会社は何をするべきなのか考えることではないでしょうか。残業時間が長い社員は知らないうちに病気になる危険が高いということを絶対に忘れないで欲しい。電通が働く全ての人の人権を尊重した経営を行い、全ての社員が生き生きと誇りを持って働ける会社であることを願って、これからも見守っていきたいと思います。

 そして今年は過労死防止法が施行されて10年になりました。娘が亡くなる前年の2014年11月1日、大切な家族を過労で失くした遺族の方々のたゆまぬ努力によって過労死防止法が施行されました。その後、働き方改革が叫ばれる中、残業時間の上限が定められ、労働環境の改善が進んだかのように言われますが、今でも仕事が原因で病気になる人や、過労死する人がいます。特に精神疾患の労災請求は毎年増えて、娘が亡くなった年の2倍以上になっています。国は過労死対策に何がたりないのか。どうしたら過労死がなくせるのか。私たち遺族の意見を本気で聞いて、対策を見直してほしいです。

 経済成長のため、企業の利益のために人の命が犠牲になることがないように、働く人の健康を第一に考えた企業経営、国の政策を実行して欲しいと思います。

 先月の11月28日はまつりの誕生日でした。

 生きていたら「33歳」。どんな人生があったでしょう。「死んだ子の年を数える」といいますが、どんなに悔やんでも、どうすることもできないと頭ではわかっているのに、「あの時ああすればよかった。こうすればよかった」と、まつりのことばかり考えてしまいます。自分のいのちより大切な娘でした。私の願いは「まつりの幸せな人生」でした。まつりがこの世に生を受け、共に生きた24年の愛しい時間を絶対に忘れない。まつりと同じように苦しんで亡くなる若者がいなくなるように。働く人のいのち。若者のいのち。未来の子どもたちを守りたい。それが今の私の願いです。

 まつりのいない9年もまつりと共に歩んだ9年でした。誰もが安心して働き、誰もが希望を持って人生をおくれる国になるように願い、まつりと共に力を尽くして参りたいと思います。

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