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国内最古の「牛川人骨」、調べたら「クマの骨」…愛知・豊橋市教委が説明文やパンフレット修正へ

読売新聞 / 2024年12月24日 22時10分

「牛川原人之碑」(豊橋市牛川町で)

 「人骨か否か」――。1950年代に愛知県豊橋市内で、国内最古の人骨として発見された「牛川人骨」を巡り、東京大総合研究博物館の諏訪元特任教授らの研究グループが「クマの骨である」と断定する論文を1日に公開した。20年以上、人骨ではない可能性が指摘されていたが、ようやく決着がついた。市教育委員会は、牛川人骨とされると表記していたレプリカの説明文や市内の歴史をまとめたパンフレットなどを順次修正していくが、今後も紹介を続けていくという。(原田展)

 牛川人骨を巡っては、発見後に国内最古の人骨として高校の歴史教科書に掲載され、市も紹介する資料には国内最古の人骨と表記。発掘現場付近には、地元住民らによって「牛川原人之碑」が建てられた。

 暗雲が漂い始めたのは、2001年頃だ。動物の骨とする見解が有力視され始めたのだ。しかし、DNAの検出は困難で、何の骨か特定できないため、人骨の可能性を完全には否定できない状態が続くことになる。市は刊行物については、そのままの記載にして静観する状態が続いた。

 そんな中、諏訪特任教授は18年にクマの骨の可能性が高いと気付き、22年9月の日本人類学会で共同発表した。市教委も18年、牛川人骨の説明文に、動物の骨の可能性もあることを併記したり、市美術博物館などで展示するレプリカの説明文も牛川人骨から「牛川人骨とされる化石骨」に変更したりしていた。

 そして、諏訪特任教授の研究グループは今回、牛川人骨の断面画像と3次元モデルをクマ骨標本と比較することで、2万年より前のクマの骨と結論づけた。また、当時の動物の構成から、ヒグマの可能性が高いと推測している。

 諏訪特任教授と継続的に連絡を取り合っていた市教委は、今回の結論も「驚いたり、慌てたりする状況ではない」として、想定内とする受け止めだ。結論を受け、刊行物などの変更を進めていくという。変更に伴う特別な予算措置はせず、「説明文などの修正は順次行っていく」とする。ただ、牛川原人之碑については、民間によるもののため、今後は「分からない」という。

 国内最古の人骨は否定されてしまい、化石骨への関心は低くなってしまいそうだ。しかし、諏訪特任教授は「牛川化石の研究が、日本列島における人の成り立ちの理解に大きく貢献したことは、今後も変わりない」と強調する。牛川人骨の発見は、縄文時代よりも前のヒトの探求における重要な起点の一つであり、その他の化石人骨についても研究が進展していくきっかけになったという。

 市もレプリカの展示などは継続していく方針だ。市文化財センターの村上昇主任学芸員は「日本最古の人骨ではなくなったが、『牛川人骨』が豊橋の大切な宝であることに変わりはない」と話している。

 ◆牛川人骨=1957年、豊橋市牛川町の石灰岩採掘場で左上腕骨とみられる破片がニホンザルやタヌキなどの動物の骨と共に出土し、東京大の鈴木尚教授の鑑定で、約10万年前の旧石器時代を生きた小柄な女性と推定された。2年後に見つかった破片は左大腿だいたい骨とされ、男性と判断されると、国内最古の人骨として高校の歴史教科書にも掲載された。

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