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「常勝ジャイアンツ」背負う覚悟…坂本勇人・菅野智之・長野久義が語る信条

読売新聞 / 2024年12月28日 11時0分

 読売巨人軍の長い歴史には、燦然さんぜんと輝くスター選手の系譜がある。奪い、奪われる厳しいプロの世界で、彼らは不断の努力でその才能を発揮し続け、ファンを魅了してきた。12月26日で球団創設90年の大きな節目を迎えた。近年の巨人を牽引けんいんしてきた坂本勇人(36)、菅野智之(35)、長野久義(40)の3人が、それぞれの信条やチーム愛、次代を担う後輩たちへの思いを語った。(敬称略)

チーム一筋18年 坂本勇人

「伝統いればいるほど感じる」

 2006年9月のドラフト会議。坂本は、高校生ドラフト1巡目で巨人から指名を受けた。笑顔の裏で不安が渦巻いていた。「やっていけるのかな」。同じポジションの遊撃には、当時30歳の二岡智宏がいた。

 幼少期は兵庫で過ごし、高校は青森へ。巨人の印象は「スター選手が多くて常に強い。若手が出場しているイメージが湧かなかった」。ドラフト当日に語った目標は「4、5年後にはホームラン30本」。時間的猶予を自分に与えていた。

 だが、1年目に道を切り開く。優勝争いが佳境を迎えていた9月6日の中日戦、1―1の延長十二回二死満塁から代打で登場。追い込まれてから中前へ2点適時打を放ち、プロ3打席目で初安打、初打点、決勝打という離れ業をやってのけた。

 ポテンヒットだったが、フルスイングで結果を出したルーキーの姿に、当時の主将、阿部慎之助は感銘を受けた。「あそこで打てるやつはそういない。主力になって巨人のトップを張ってほしい」。オフにグアムでの自主トレーニングに同行させ、猛練習を行うとともに技術を惜しみなく伝えた。

 「あれがめちゃくちゃ大きかった」と、坂本は言う。プロになって初めて迎えたオフに超一流の自主トレを経験した。遊撃という過酷なポジションで、強靱きょうじんな体と屈指の技術を武器に、球史に残る選手へと成長していった原点でもある。

 2年目、二岡のケガも重なり遊撃のレギュラーに定着した。当時は毎日が自分のことで精いっぱい。ただ、試合に出続ける中で思いは変わっていく。「チームを勝たさなきゃいけない」。巨人を背負う自覚は、15年に阿部から主将を引き継ぐずっと前から培われていた。

 今季までに歴代12位の2415安打を積み重ねた。支えは、うまくなりたいという探究心だ。「自分の感覚だけでは限界がある。人に聞いて成功した体験は何回もあった」。名手・宮本慎也(当時ヤクルト)の自主トレに参加し、キャッチボールの意識から変えて送球ミスが多かった守備を改善。16年の春季キャンプでは、臨時コーチを務めた松井秀喜から軸足に体重を残す打法を教わり、打撃を開花させた。今も後輩にさえ質問をぶつけている。

 巨人で戦う誇りは年々増した。「長嶋さん、王さん、もっと前の先輩たちも含め、常勝球団を築いた伝統はいればいるほど感じる」。勝って当たり前という環境の特殊性も分かってはいたが、他球団から加わった選手がより理解を深めてくれた。

 今季、高卒2年目を迎えた浅野翔吾が、9月の広島戦で敗戦につながる失策を犯し、涙した。「それぐらいでへこたれていると、これからもっとしんどくなるぞ」。そんな言葉をかけたのは次世代のチームを思うからこそだ。

 巨人一筋18年で9度のリーグ優勝と2度の日本一。後輩たちに、あるべき姿を諭すつもりはない。「ジャイアンツで優勝するとハッピーなことが待っていると経験できたと思う。『次は中心で』と勝手に思っていくはず」。伝統を継承する者は、自ら学び、成長していく。

エースの系譜「18」 菅野智之

「相手を見おろすぐらいの気概で」

 ――1995年10月8日、東京ドームで伯父・原辰徳の引退試合を見て本格的に野球を始めた。巨人入りは宿命では。

 「小さい頃は思っていなかったけど、野球と言えば巨人だったし、巨人戦以外の試合をテレビで見たことがなかった。他の球団でユニホームを着ている姿を考えたことがなかった」

 ――1年目の2013年、プロ初登板から阿部慎之助とバッテリーを組んだ。交流戦では今も大切にする言葉をもらった。

 「オリックス戦で三回までに2点を取られた後、『こういう時もある。粘っておけば絶対いいことあるから』と言ってもらった。僕に勝ちはつかなかったけどサヨナラ勝ちして、整列の時に『な、粘っていればいいことあっただろ?』と。それは今も意識している」

 ――1年目に13勝を挙げると、2年目には開幕投手を務め、エースへの階段を上っていく。

 「1年目に開幕から3連勝して、20勝ぐらい勝てるなと思った。でも研究され、それまで空振りしていた球がバットに当たり、ヒットになるようになった。後半戦に巻き返して、クライマックスシリーズで完封し、日本シリーズも経験した。いい時とダメな時を両方経験できて、2年目はまた違った気持ちで『行ける』というのはあった」

 ――19年から背番号18になった。その時の思いとは。

 「言葉で表せないぐらい重みがある番号。前年のオフに原監督から『来年からどうだ、18番』と言われ、簡単に返事ができなかった。『考えさせてください』と。気軽に返事をしていいものじゃないと思った」

 ――エースの重圧と、どう向き合ってきたのか。

 「過度に背負い込んでも、自分の力で何かできることじゃない。それより、その試合を勝つこと。先制点、四球を与えない、無駄な進塁をさせない。やるべきことは変わらない」

 ――自身が苦しい時も後輩には助言をしてきた。

 「4万人の中で投げる喜びを知ってもらいたいので。今季も球団から支給された端末で、西舘(勇陽)や(堀田)賢慎ら一軍、二軍を行き来する選手のファームでの投球を見て、『俺はこう思うよ』と伝えていた。配球、組み立てというのは、彼らより経験があるから」

 ――巨人は特別な球団との思いは。

 「それはあります。悪かったら100倍たたかれるし、良くて普通。世間から向けられる目は、やっぱり厳しいものがある。それだけに、ジャイアンツで活躍したら、人が見られない世界が見られると思っている」

 ――坂本選手は、菅野投手のことを「若い時から勝敗の責任を共に背負ってきた特別な存在」と表現する。

 「僕にとっても特別の特別。(坂本)勇人さんと長野さん、(小林)誠司もそうだけど、困った時に誰に相談しようかと考えた時、まず顔が浮かぶ」

 ――次世代の選手に、受け継いでほしい思いとは。

 「昔は『ジャイアンツプライド』という言葉があった。今の若い子たちにも持っていてほしいし、強い巨人軍であり続けてほしい。そういう自覚や、相手を見おろすぐらいの気概を持った選手が出てきてほしいな」

チーム最年長40歳 長野久義

痛みに耐え、試合出続け

 <小学5年の文集で「ぼくはジャイアンツにドラフト1位で指名されました」と未来を予想した少年は、長じて夢をかなえることになった。ドラフト指名を2度断り、2010年に入団。走攻守に優れ、1年目は新人王、2年目は首位打者。その後も主力として活躍し、チーム最年長となった長野が語る>

 変な勘違いかもしれないけど、飛ばすことには結構自信があった。それでも、すごいメンバーのチームに入ったと思いましたよ。1年目の開幕戦は、由伸さんが腰のケガ明けとはいえ8番打者。4番を打てる人がたくさんいた。でも、やらなきゃいけない、それが一番だった。大学、社会人と2度ドラフトを断っているので、絶対結果を残すしかないと。

 色んな先輩の姿に影響を受けました。原監督もそう。プロ野球選手とは、とよく言われた。「チームを代表して出てるんだから、三振しても堂々と胸を張って帰ってこい」とね。なかなかできなかったけど(笑)。

 僕の中で一番すごい記録は連続試合出場です。衣笠祥雄さん(広島)や金本知憲さん(阪神など)、鳥谷敬さん(同)、勇人もそう。どんなに気をつけても毎日出ていればケガはする。痛い中でも試合に出続けるのはやっぱりすごい。僕もそうしてきたつもりです。

 最も印象深いのは、4勝2敗で制した12年の日本シリーズです。第5戦で右膝に死球を受けた。痛くて痛くて、もう無理かと思ったけど、痛み止めの座薬を入れ、口からも薬を飲んで第6戦は出た。1番で、初回はヒット、2打席目はホームラン。後で映像を見ると、河村亮さん(日本テレビアナウンサー、故人)が「右膝の痛みをものともせず――」と実況してくれていた。うれしかったな。

 ジャイアンツはやはり全試合勝たないといけない雰囲気がある。リーグ優勝だけでは喜べないし、OBも偉大で有名な方ばかり。プレッシャーはすごくある。そういう中でも、後輩たちには、子供たちが見て、ジャイアンツの選手は楽しそうだなと思ってもらえるようにプレーしてほしいな。

 今年、リーグ優勝を決めて胴上げをした時、内心はそこまで喜べなかった。やっぱり自分が活躍できなくて悔しい、というのはある。初めてゼロに終わったホームランも打ちたい。もっと鍛えて、「なかなかやめないな」と思われるぐらい、やりますよ。

 巨人の未来を担う若者たちが、球団を背負っていく決意や創設100周年を迎える10年後の理想像を語った。

長野さんみたいに広角に 浅野翔吾

「打った時の歓声や反響は、どこの球団よりも大きい。目指すのは、長野さんみたいに広角に打てるバッティング。野球以外でも周囲に気を使える、後輩から好かれる選手になりたい。100周年には30歳になる。バリバリのレギュラーを張って、(岡本)和真さんや(坂本)勇人さんみたいな主力になっているのが目標だ。強い巨人を作りあげていきたい」

見ている人に届くプレー 門脇誠

「小さい頃の巨人のイメージは最強軍団。若い人から年を重ねた人までが見ている。今いる偉大な方々がいなくなった時に、弱くなったと言われないようにしたい。結果で引っ張るのはもちろん、見ている人に届くようなプレー、振る舞いができる選手になりたい。(遊撃手の先輩は)スターばかり。短所を直し、長所をしっかり伸ばして自分の選手像を作っていきたい」

一球一球に責任 井上温大

「プロに入る前は、強くて、人気もあって、プロ野球といったら巨人という認識だった。一球一球や一つのプレー、言動にも責任があると感じる。活躍すればするほど、巨人の選手であることの重みは増していくんだと思う。でも、今は全く重圧に感じていない。まずは自分のことをしっかりできるようになってから、巨人の歴史についても考えていけたらいい」

ずっとエースに 戸郷翔征

「巨人は全部が特別。ひと言では表せないぐらいのものがある。活躍できなかったら、たたかれるのが宿命。巨人に入った以上、使命を果たさないことには評価されない。今季、エースと呼ばれるようになったけど、全くそう思ってはいない。巨人の伝統に名を刻むような選手でなければ、そう言われることもない。ずっと、エースと言ってもらえるように努力し続けたい」

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