100歳で死去のカーター元米大統領、「人権外交」掲げソ連との緊張緩和に尽力…広島や平壌訪問も
読売新聞 / 2024年12月30日 19時8分
【ワシントン=淵上隆悠】第39代米大統領を務めたジミー・カーター氏が29日、米ジョージア州の自宅で死去した。100歳だった。自身が設立した非営利団体「カーター・センター」が明らかにした。1977~81年の在任中、「人権外交」を掲げ、冷戦中だったソ連との緊張緩和に努めた。退任後も世界各地で紛争調停などに取り組み、2002年にノーベル平和賞を受賞した。
カーター氏はジョージア州知事を経て、1976年の大統領選に民主党から出馬し、共和党現職のジェラルド・フォード氏を破った。78年9月、エジプトとイスラエルの両首脳を大統領山荘キャンプデービッドに招き、和平協定「キャンプデービッド合意」を仲介した。翌79年の平和条約調印につながり、歴史的な成果となった。
米ソ間の核軍縮にも力を注いだ。79年6月にはソ連の指導者ブレジネフ共産党書記長との間で、戦略兵器の運搬手段総数を米ソ対等にするなどとした第2次戦略兵器制限条約(SALT2)に調印した。米上院が批准しなかったが、一種の「紳士協定」として存続した。在任中には対中国交正常化も実現させた。
79年に起きたイラン革命後の米大使館人質事件では、人質救出作戦を決行したが、失敗に終わった。国内の失業対策などでも成果を出せず、再選を目指した80年大統領選で共和党のロナルド・レーガン氏に敗れた。
退任後は「カーター・センター」を活動拠点とし、アフリカやアジア、中東、中米など世界各地で民主主義の推進や紛争調停に尽力した。84年には米大統領経験者として初めて被爆地・広島を訪れ、広島平和記念資料館を見学した。94年には北朝鮮が核開発を加速させ、米韓との対立が高まる中で平壌を訪問。当時の
死因は公表されていないが、カーター氏は2015年に肝臓がんの摘出手術を受けた後、脳へのがん転移が判明し、入退院を繰り返していた。23年2月には余命を家族と過ごすとして、自宅でのホスピスケアに移行していた。
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