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能登地震で自宅がビルの下敷き、妻子亡くし川崎で居酒屋再開…拭えぬ喪失感「なんで神様は俺を生かした」

読売新聞 / 2024年12月31日 19時35分

コウバコガニを仕込む「わじまんま」店主の楠さん(24日、川崎市川崎区で)=今利幸撮影

 能登半島地震の発生から元日で1年となる。石川県輪島市で、自宅兼居酒屋が地震で倒壊したビルの下敷きとなり、妻と長女を失った楠健二さん(56)。川崎市川崎区砂子で居酒屋を再開し、半年が過ぎた。店には客が絶えず、味の評判もいい。だが、気持ちが晴れる日は一日もない。喪失感は「あの日から何も変わっていない」。(阿部華子)

 京急川崎駅近くの居酒屋「わじまんま」。24日午後の開店前、厨房ちゅうぼうには、いつもと同じようにキャップを逆にかぶり、前掛けを身に着けた楠さんの姿があった。

 6月10日にオープンした店は毎日多くの客でにぎわっている。忘年会シーズンは満席続きで、能登半島直送の美味と酒を楽しむ客の笑い声が絶えない。

 都会で店を営んでいると、時の経過とともに能登半島地震に気を留める人は減ったと感じると楠さんは語る。「復興、遅いよね」と客は口をそろえるが、具体的な現状を知る人はほとんどいない。酔った客から「奥さんと娘、何? 死んじゃったんだって?」と尋ねられ、傷ついたこともある。

 数か月に1度は輪島市に足を運ぶ。亡くなった妻の由香利さん(当時48歳)と長女珠蘭じゅらさん(当時19歳)がまだそこにいる気がする。由香利さんと珠蘭さんは、ビルに押しつぶされた自宅のがれきに挟まれ、亡くなった。「あそこで2人が寒い思いをしているんじゃないかって思うんだ」

 新盆を迎えた8月、気心の知れた仲間や家族と宴席を囲むと、思いがあふれた。

 「復活しようよ。負けてないでさ。俺もほんとは輪島に帰りたい。いつかは帰るって決めてんだ俺は」

 涙を流す楠さんに周りはそっと寄り添ってくれた。

 倒壊したビルは11月、公費解体が始まった。押しつぶされた自宅や店舗に残る思い出の品々は撤去が進み、近くの空き地でがれきとともに野ざらしになっている。

 由香利さんを失ってからというもの、酒量が増えた。閉店後に川崎の街で深酒する日も多い。自宅に連れて帰ってくれる人も、栄養バランスの良い食事を作ってくれる人もいない。10月下旬には大腸憩室炎を患い、2週間入院した。

 年の瀬、店では寒ブリやコウバコガニなど真冬の料理が並ぶようになった。開店前、1人で仕込みをしていると、あの日が近づいていると日に日に感じる。ふと、深い孤独感に襲われる時がある。

 家族でカウントダウンをしてお祝いした年越し、お節や雑煮をみんなで囲んでくつろいでいた元日――。そんな家族との年末年始は二度と戻ってこない。

 「なんで神様は、俺を生かしたのかな……」

 楠さんは、その答えをまだ見つけられないでいる。

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