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「地震で石川の皆さんのためにという気持ちが強くなった」…ヤクルト・奥川恭伸投手インタビュー

読売新聞 / 2025年1月1日 5時0分

 能登半島地震の発生から1年を迎えるにあたり、石川県かほく市出身でプロ野球・ヤクルトの奥川恭伸投手(23)が読売新聞のインタビューに応じ、地元への思いを語った。(聞き手・増田剛士)

 ――帰省中に自身も地震を経験した。どんな思いで被災地を見つめてきたか。

 「親戚宅でだんらん中でした。津波警報が出て、高台に避難しました。(スマートフォンの)アラートが鳴り続け、余震が何回もあって、とても怖かった。道路はボコボコになり、実家は停電や断水もあった。被災後2日間しか石川にいなかったけど、それだけでもきつかった。家がつぶれてしまった人や、身内を亡くした人もたくさんいる。能登の皆さんは、今でもしんどい生活をされている。身近でこんなことが起こって、本当に何かしらの形で力になりたいという気持ちがいっぱいありました」

 ――自分ができることを自問自答するような時間もあったのでは。

 「地震から1か月後にキャンプインして、『何としても』という気持ちだった。意気込んで臨んだけれど(腰のけがで)出遅れてしまい、1年間活躍しきれなかった。悔しさだけじゃなく、能登の人たちに対しても、申し訳ない思いがすごくありました」

 ――2021年に9勝を挙げ、チームの日本一にも貢献したが、2022年は右肘痛、23年は足首のけがで棒に振った。もどかしさを感じた月日だったと思うが。

 「野球が仕事なのに野球ができない。何やってんだろうと。そういう気持ちでした。心ない言葉を(インターネットやSNS上で)言われ、つらい思いもたくさんしました。プロスポーツ選手である以上、仕方のないことだと思うけれど、絶対に活躍して見返してやる、という気持ちをずっと持っています」

 ――苦しい時期に支えになったものは。

 「ずっと僕を支え続けてくれた人たちの存在です。石川に帰れば、いつも温かい声をかけていただいていたし、地元企業からは寄せ書きのメッセージもいただきました。本当に感謝の気持ちしかないです。地震があって、なおさら石川の皆さんのためにという気持ちは強くなりました」

 ――24年は交流戦で復帰登板に臨み、980日ぶりとなる涙の白星を挙げた。

 「5イニングしか投げられなかったけど、勝ちまでつけてもらって。一歩踏み出せた試合になりました」

――シーズンでは7試合に登板し、3勝。25年につながる1年になった。

 「振り返ると、まだまだ周りの期待に応えられる内容ではなかったけど、2年間投げられなかった僕にとっては、投げたことに価値がある。次は内容にフォーカスしていけるという意味では、投げられてよかった。次はもっともっと上を目指せる、目指して頑張らないといけない、と投げたことでより思いました」

 ――長い、長いトンネルだった。

 「長かったですね。まだ完全に抜けたかどうかは、わからない。25年のシーズンにかかっていると思います」

 ――どん底を味わった選手が復活に向けた姿を見せていくことは、復興に向かう能登の人たちを勇気づけることにもつながりそうだ。

 「どれだけの影響力があるかわからないけれど、もう本当に、僕にできることをやるしかない。少しでも元気になってもらえるように頑張りたい」

 ――昨年12月8日、石川県七尾市で行われた地元の小学生らとの交流イベントでは大人気で、子供たちにもみくちゃにされていた。

 「ずっと力になりたいと思っていたので、(復興イベントを主催した日本プロ野球選手会から)機会をいただけて本当に良かった。子供たちも楽しそうにやってくれていたのでうれしかった」

 ――石川県出身のアスリートとして、今後に向けて改めて思うことは。

 「競技を問わず、またスポーツだけじゃなく、僕たち表側に立つ人間がみんなで協力して、色んなことを発信して、少しでも石川県の皆さんに元気と勇気を与えられたらと思っています」

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