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63年前にシード獲得、立教大OB山口巌雄・元厚木市長「耐えるからこそ成長」…後輩にエール

読売新聞 / 2025年1月2日 6時0分

63年前の立教大シード権獲得時に8区を走った山口巌雄さん。神奈川県議選出馬時のパンフレットにも箱根駅伝の写真を使っていた

 第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=読売新聞社共催)が2、3日に行われる。前々回は55年ぶりの本大会出場で総合18位、前回は14位とステップアップした立教大は、10位以内での1962年以来のシード権獲得を狙う。63年前にシードを獲得した際のメンバーである神奈川県厚木市の元市長・山口巌雄さん(82)に当時を振り返ってもらった。

 少年時代から駆けっこが得意で、中学時代には当時のトップアスリートに「走り方が非常に経済的」と褒められて本格的に長距離に取り組んだ。県立厚木高では陸上部で活躍した。「高校の部活では1番。神奈川県でも長距離なら10番目くらいだったのかな。でもそのレベルの選手ですよ。当然、大学に入った頃は尻の方。箱根を走れるなんて思ってもみなかった」と振り返る。

文武両道

 立教大は文武両道意識の強いチームだったという。朝6時に起きて2時間かけて通学。講義をしっかり受けてからグラウンドに向かった。「『学生の本分は学業。スポーツの中に学業があるんでなく、学業の中にスポーツがある。幹を忘れちゃいけない』なんて言われてね」。マネジャーが講義に出ているかチェックしにくることもあり、サボるのは厳禁。忙しい日々の中、1日4食で体をつくった。

 合宿では布団の上げ下ろしから、グラウンド整備まで1年生の仕事。「朝も散歩と言いながら、もう練習なんですよ。フウフウ言って帰ってくると食事の準備。練習も1番最前列でやるから手を抜けないんですよ。夜は先輩のマッサージ。あれはつらかったね」と笑う。そんな日々でも、「目的意識だけは忘れず、歯を食いしばって力をつけていったのかな」と回想する。

骨が痛んでないなら走れ

 迎えた1962年の本大会。実は脚が痛くて先輩に相談したと言う。「『ここで駅伝を走れなかったら、もう二度とチャンスがないかもしれない。骨が痛んでないなら、走り出す頃には忘れちゃうよ』と言われたんです」。中継所までは脚を引きずっていったが、アドレナリンのおかげか痛みは消えていた。「意外に走れちゃったんですよ」。8区を順調に走り出した。

 感激したのは、応援団がとっておきの応援歌「セントポール」を歌ってくれた瞬間。箱根屈指の難所・遊行寺の急坂にも食らいついた。「1番つらかったのがあの坂。親父の声が聞こえたような気がしたんですよ。幻だったのかな。それで何とか頑張れたんですよ」。

シード獲得…即勉強

 区間3位で弾みをつけ、総合6位でのシード権を獲得に大きく貢献した。「充実感はあるんですけど、集まってすぐ解散なんですよ。というのも次の日からはノートのコピーを見ながら英語、簿記、経済史の勉強。別のはちまきを巻いている訳ですよ。頭がいい方じゃないから、単位落とすわけにもいかないしね」と振り返る。

 好走を実感したのは冬休み明けで通学した際だ。応援団から「お疲れ様でした」と大きな声であいさつされる。「うれしいような、気恥ずかしいような。すごく大事にされるんですよ」と当時を懐かしむ。

 以降の競技人生では苦しさも味わった。2年時はどんどん実力もつけていたが、最後の強化練習後にレントゲンを撮ると、診療所で肺に曇りがあると言われて出走を禁じられた。箱根も出走できず。気持ちが離れかけた時、「練習をしなくてもいいからグラウンドに来いよ。麻雀なんてやってちゃ、お前は駄目になるからな」と部員に励まされて踏みとどまった。

2区でも力走

 3年時はエース区間の2区で10位と健闘。ただチームは12位だった。4年時は調子が今ひとつで、9区15位。最後はフラフラになりながら走ったという。たすきをつなげず繰り上げスタートとなった。チームも11位で終了後には指導陣と一緒に涙を流したという。

 卒業後は実業団で監督を兼ねて競技を続ける誘いもあったが、質店での修業の道に入り、独立後は金融や不動産、ディスカウントストアの運営など事業を拡大。修業時代も「9区で味わったたすきを渡すことができなかったつらさ、キャプテンの重責を果たせなかったことに比べたら、なにくそと思えた」と踏ん張れた。

 同時に「箱根を走れず堕落してもおかしくない時にグラウンドに引っ張っていってくれた友情に助けられた。一言、ひとつの行動が支えになっていたんだなと」と周囲の人への感謝の思いも強くなっていった。

 その後は神奈川県議、厚木市長を務めた。箱根ランナー出身の政治家としての意識は強かった。繰り上げスタートの時間を遅らせるため、交通規制時間を長くするよう提言したことも。県議会では「歴史や文化、風光明媚めいびな神奈川を箱根駅伝を通してPRしてくれている。経済効果はどれほどのものか。駅伝の会館をつくってはどうか」とも提案した。長い年月を経て今、芦ノ湖畔には箱根駅伝ミュージアムが立つ。

 今年も箱根はテレビで応援するつもりという。もちろん立教大にも快走でシード権獲得を目指してほしいが、結果が出なかった時でもそれを糧にしてほしいと願う。「私も1年の時のまま奇麗に走って終わりではなかったのが、その後の人生を考えると、良かったのかもしれない。スポーツ、長距離走、箱根は人生と同じですよ。冬というつらい時期に、我慢して耐えるからこそ成長すると思うんです」。(井上敬雄)

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