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「奇跡」の379人脱出、炎上・大破のJAL機撤去作業に富山からプロ集団

読売新聞 / 2025年1月3日 5時0分

C滑走路の運用再開に向けて行われた日航機の撤去作業(昨年1月5日、羽田空港で)=片岡航希撮影

 東京・羽田空港で昨年1月に発生した航空機衝突事故の直後、大破した日本航空機の撤去作業を担った民間事業者が取材に応じ、滑走路の早期再開に向けた当時の作業を振り返った。事故は2日、発生から1年を迎えた。

 滑走路で火の手が上がる衝撃的な光景の翌朝。総合リサイクル会社「豊富産業グループ」(富山県)の山川秀宏・東京支店長(67)の携帯電話が鳴った。「撤去作業をお願いできないでしょうか」。日航の整備担当者からだった。

 豊富産業は2014年、国内でほぼ例のない旅客機の再資源化に着目し、米ボーイング社などが作る「航空機リサイクル協会」(99社・団体)に加盟した。小型機や自衛隊輸送機で実績を積み、22年には日航の羽田格納庫で、大型旅客機2機の解体・リサイクルに国内で初めて成功した。

 報告を受けた高倉康氏社長(70)が正月休みの解体部門に声をかけると、熟練重機オペレーターの望月透さん(61)ら10人が続々と手を挙げた。3日深夜には車で富山から羽田へ。「混乱した空港の様子をニュースで知り、全員が『何か役に立ちたい』という一心だった」と高倉さんは振り返る。

 現場で手順の検討を経て、作業は5日朝に始まった。滑走路脇の草地に横たわる、焼け焦げた機体を前に山川さんは思った。「これほどの事故に遭いながら、12人の乗務員たちは367人の乗客を全員脱出させた。本当に『奇跡』だ」

 運輸安全委員会の調査と並行する解体・運搬は、格納庫での作業と勝手が違った。特に1基10トンを超えた二つのジェットエンジンは、専用の輸送車両もない中、重機でつり上げてトレーラー車に載せ、富山から持ち込んだ角材で固定した。最終便の飛行が終わる午前2時を過ぎてから数キロ先の格納庫までゆっくりと運んだ。

 3日間にわたる作業の総仕上げは7日午後、日航社員も含む100人を超す人手で、辺りに残る小さな破片を探し集めた。あれから1年。自身も操縦資格を持つ山川さんは「大勢の裏方が働いて、空港の運営、航空安全が支えられている。そう実感させられる光景だった」と振り返った。

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