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1970年の「万博ピアノ」、時代超え今回の会場でも演奏へ…「二つの万博つなぐ架け橋に」

読売新聞 / 2025年1月4日 16時7分

「このピアノの音色を万博会場で楽しんでほしい」と話す米田さん(奈良県宇陀市で)

 1970年大阪万博のため、楽器メーカー・河合楽器製作所(浜松市)が製造したグランドピアノを、大阪・関西万博の会場で演奏する計画が進んでいる。奈良県宇陀市の高校で長年引き継がれていたもので、関係者は「二つの万博をつなぐ架け橋になってほしい」と期待を込める。

 通称「万博ピアノ」。昨年2月、同製作所ピアノコーディネーターの三浦広彦さん(61)が県立宇陀高校榛原学舎(宇陀市)を訪れ、前身の高校も含めて半世紀にわたり保管されていたピアノの音を確認した。三浦さんは「思った以上に良い状態で大きな音も出る。調整すれば、また長く使えると感じた」と振り返る。

 ピアノの状態を確かめるために遠方から宇陀市を訪れたのは、県が万博会場での演奏を計画しているからだった。

 同製作所が70年万博のために作ったグランドピアノは3台。このうち2台は、万博のテーマである平和や夢を表すエメラルドグリーンに塗装された。宇陀高にある万博ピアノは、幅約1・6メートル、奥行き約2・8メートル、高さ約1メートル。重量は約500キロもある大きなもので、鍵盤けんばんの素材に象牙が使われている最高級品。万博会場で開かれたコンサートなどで演奏されたという。

 70年万博が閉幕した後、当時の榛原町(現・宇陀市)にあった企業がピアノを買い取り、地元の高校に寄贈。その後は、高校の体育館のステージに置かれていた。10年ほど前、当時の県立榛生昇陽高の体育教諭が由来を調べ、70年万博に出展されたピアノと判明。修理費用約300万円の寄付を募ったが、実現しなかった。

 ピアノは学校の式典などで使われていたが、同校の音楽教諭、米田珠代さんがピアノを図書館に移動させることを提案。米田さんは「ピアノの音色は温度や湿度に影響されるので、温度管理がしやすい図書館に置くのが適切。いつか地域の人たちを招いてサロンコンサートを開きたい」と構想を語る。音楽の授業などで生徒が弾くこともあるという。

 昨年6月、同校が統合した宇陀高を三浦さんらが再び訪れ、3日間かけてピアノを調整した。鍵盤が変色し外装にも細かい傷がみられたが、年月を積み重ねた外装はそのまま残そうと、あえて修理しなかった。

 弦を打つハンマーや金属部分など、内部の部品は交換せずに磨くなどして生かすようにした。調整後、大阪・関西万博への機運が徐々に高まり、地元の住民らが見学に訪れたり、県が催す万博関連イベントで紹介されたりして注目を集めている。

 県は奈良市出身の映画監督、河瀬直美さんがプロデュースするパビリオンで、万博ピアノの展示と演奏を計画している。米田さんは「70年の大阪万博を知っている人には、当時を思い出してもらえる機会になる。今もピアノが継承されていることを世界の人にも知ってもらいたい」と、ピアノの晴れ舞台を心待ちにしている。

 同製作所創業者の河合小市氏(1886~1955年)は、1940年に開催される予定だった東京万博に向けてグランドピアノを製造。東京万博は戦争の激化で中止になったが、現在も個人宅で保管されているという。三浦さんは「ピアノはどんなジャンルの曲でも活躍でき、家族のような愛着をもって長く楽しめることが魅力。万博を通じて、時代を超えて愛される楽器だと伝えたい」と願っている。(山田珠琳)

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