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「それでも人生は続いていくって話ですよね」…是枝裕和監督、「阿修羅のごとく」をリメイク【後編】

読売新聞 / 2025年1月15日 11時0分

(左から)次女・巻子(尾野真千子)、長女・綱子(宮沢りえ)、母・ふじ(松坂慶子)

 脚本家として日本のテレビドラマ史に残る作品を手がけた向田邦子(1929~81年)の代表作の一つ「阿修羅のごとく」(79年にパート1、80年にパート2)が、是枝裕和監督・脚色によりNetflixシリーズとしてリメイクされた(全7話、Netflixで独占配信中)。宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すずが演じる四姉妹を中心とするドラマ。同作についてのインタビューの中で、是枝は、「それでも人生は続いていくって話ですよね」とも言った。(編集委員 恩田泰子、文中敬称略)

昭和のドラマ

 「阿修羅のごとく」は、東京の中流家庭・竹沢家に生まれた四姉妹をめぐる物語。老境の父に愛人がいると知ったことを端緒に、竹沢家の女たちがそれぞれ秘めていた愛憎、葛藤が浮かび上がってくる。

 オリジナル版はNHK土曜ドラマ枠で、1979年(昭和54年)に、1~3話(各話タイトルは「女正月」「三度豆」「虞美人草(ぐびじんそう)」)、翌80年(同55年)に4~7話(同「花いくさ」「裏鬼門」「じゃらん」「お多福」)が放送された。時代設定は、放送当時の昭和50年代半ば。是枝が脚色・監督したNetflix版も、時代はそのままだ。

 今、昭和を描くということは、是枝にとってどのような体験だったのだろうか。尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

 「もちろん、自分が生きてきた時代だから関心があるんですけれど、携帯電話がない世界だからね。そこが一番、今のドラマと違うところ。小さなことのようですが、この20年で(携帯電話の浸透・進化とともに)人の暮らしは大きく変わった。生活が変わったのと同じくらいドラマが変わった、ということを痛感しました」。街も変わった。「昭和の街並みがもうほとんど残っていない状況だから、ロケーションが、それはそれは大変でした」

「女は阿修羅だよ」

 「阿修羅のごとく」というタイトルが表すのは、女たちのありよう。オリジナルでは、パート1の最終話である第3話の終わりに<女は阿修羅>という言葉が出てくる。次女・巻子の夫・鷹男が、三女・滝子にほれた男・勝又に言うせりふだ。

 是枝が脚色したNetflix版にはオリジナルとさまざまな違いがあるが、3話の終幕もその一つだ。<女は阿修羅>とのせりふは、別のエピソードで一味違った味わいをもって発せられる構成に変わった。リメイク版第3話の終幕では、滝子役の蒼井優と勝又役の松田龍平が歩く姿に、夏目漱石の『虞美人草』の一節が重ねられる。この小説からの引用はオリジナル版にもあるが、ボリュームが増えている。

 「悩んだんですけどね」と是枝は言う。「向田さんはもともと3話で終わるつもりで書いているから、3話の終わりに<女は阿修羅だよ>という言葉を持ってきている。ただ、7話シリーズとして考えた時に、そのせりふはここに来ないな、と思ったんです。(4話以降へ)「つづく」にするには何がいいか、あれ(今作でのやり方)が一番しっくりきた感じです」

「虞美人草」

 向田は1981年、台湾を取材旅行中に航空機事故で亡くなった。向田と組んで「寺内貫太郎一家」などを手がけた演出家、久世光彦の著書『触れもせで』(講談社文庫)には、向田が台湾旅行から帰ってきたら、久世のために漱石の『虞美人草』を脚色する約束だったと記されている。

 同作は配役も済んでいて、松田龍平の父、松田優作らが主演する予定だったという。Netflix版第3話の終幕には、実現しなかった向田ドラマへのオマージュもこめられているのだろうか。

 『虞美人草』のドラマ化を向田さんはやろうとしていましたが――とこちらが水を向けると、是枝は「松田優作でね。その話は龍平にしましたけど」とさらりと言った。

つながり、続いていくもの

 1~3話は長女・綱子、次女・巻子の話が中心だが、4話以降は、幼い時から互いにコンプレックスを抱いていた三女・滝子と四女・咲子の関係がスリリングにうねりだす。そして4人はそれぞれ、自分と家族の修羅をくぐり抜けながら、きょうだいとの絆を深めていく。是枝は、「その辺がダイナミックだなと思って脚本を読んでいました。そこをちゃんとやろうと」考えたと言う。

 四姉妹が、自分も含めた家族ひとりひとりのありようを徐々に受け入れられるようになっていくにつれ、気持ち良い風が吹き抜けていくような感覚が映像にあらわれ始める。そして、「一番、他人を受け入れられなかった滝子が、許せるようになる、受け入れられるようになる」と、見ているほうも、呼吸がぐんと楽になる。

 「そこの和解とか、母がいなくなった場所に滝子が入って子どもが生まれていくみたいなことの『順繰り』な感じっていうんですかね。(『阿修羅のごとく』をやった時の向田は)たぶん、小津(安二郎)を意識しているんですよね。その辺が、読み込んでいくとわかってきたから。世代が変わっていってもつながっていくものも……」

 家族を描きながら、人の営み、人の世のありようをも浮かび上がらせる。そんな小津的世界観は、是枝が「海街diary」を撮る時にも意識したものだ。そう考えれば、向田と是枝の作品世界が溶け合うのは必然だったのかもしれないとも思える。「それでも人生は続いていくって話ですよね」

インタビューで聞き逃したこと

 是枝は、2015年4月に行った樹木希林との対談(スイッチ・パブリッシング刊『希林さんといっしょに。』に収録)の中で、<もし僕が『阿修羅のごとく』をやるとしたら誰でできるかと、ときどき考える>という話をしている。一連の会話からは、「寺内貫太郎一家」など久世と向田が組んだドラマの出演者であり、「海街diary」を含め是枝作品の中で生きた彼女に、当時の是枝が「阿修羅のごとく」の母親役を演じてもらいたいと考えていたことがうかがえる。それから10年。そのことについても尋ねてみたかったが、インタビューは時間切れになってしまった。

 ともあれ、是枝は、何かつながり、続いていくものがあることを、確かに感じさせるドラマを撮ったことは、間違いないのだ。

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