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「小隊長がロシア兵の首を切り…皆の顔色が変わった」戦地から届いた祖父の手紙170通、赤裸々な平和への思い

読売新聞 / 2025年1月18日 8時0分

 ひとりの兵士が戦地から新妻や両親に宛てた手紙を、その孫がまとめ、書籍化した。出版したのは、日露戦争(1904~05年)に出征した内田一忠さん(48年死去)の孫で、富山県立山町野町の忠保さん(73)だ。「望郷の月」と題された本には、命のやりとりを繰り広げる戦場の息づかいや、平和への思いが赤裸々に記されている。(上田津希乃)

日露戦争に召集

 「小隊長が捕まえたロシア兵の首を切り、皆の顔色が変わった。大根を切るように切られ、かわいそうだった」――。その言葉は血のにおいが漂ってきそうなほど生々しい。一忠さんが、戦地から故郷の高野村(現立山町)の家族に送った手紙は計170通。3日に1度、手紙を送った計算になる。本には手紙のほか、日記も掲載されている。

 一忠さんは、日露戦争が始まった1904年、金沢の連隊に召集された。まだ20歳で、妻のナツさんとは結婚して1年ほどしかたっていなかった。約1年半を戦地で過ごし、多くの戦死者が出た旅順攻囲戦や奉天会戦などを経験した。

 旅順要塞へ3回目の総攻撃が行われた時期には“死”への覚悟をしたためた。「我が軍決死隊となり、戦死か負傷を致すつもり」。なすすべもなく戦地に送り込まれ、間もなく死ぬかもしれない。その現実に直面した際の胸中をこうつづる。「弾丸の下に南無阿弥陀仏なむあみだぶつをおかずにして、飯を食らう」

 一方、つかの間の平穏な日常が垣間見える描写も。「かいもち」と呼ばれるおはぎを皆で作った際には、「(あんこになる)小豆は水が多くてジャバジャバ」と、小豆を煮る際に水が多かったことを明かし「まいまい(うまいうまい)」と喜んでいる。

 死線をくぐり抜け、ようやく故郷に戻ったが、1か月後に妻は結核で亡くなった。手紙の多くは両親宛てだが、「病に苦しむ妻への思いがあったから、これだけの熱量で書けたのだろう」と忠保さんは語る。

昔の話ではない

 忠保さんは公務員だった約40年前、自宅の蔵で膨大な手紙や日記を発見。「貴重な記録を後世に残さなければ」と、毎週金曜の夜になると蔵から2通ずつ部屋に持ち込み、土日にノートに書き写した。漢和辞典を見ながら旧字体を読み解き、仕事の休みを利用して2~3年かけて解読。戦時中は紙が貴重だったため、表だけでなく裏にも書き込んだ文字がにじみ、判読は一筋縄ではいかなかった。

 苦労の末、まとめ終えると「一兵卒の現実を知って、戦争や平和について考えてほしい」と思うようになり、書籍化に至った。

 手紙が書かれた頃から120年たった現代でも、ウクライナやパレスチナ自治区ガザなど世界のあちこちに戦地はある。「戦争は昔の話ではない。兵士一人ひとりに家族がいたことを感じながら読んでほしい」

 タイトルの「望郷の月」は「こちらで見る月を、故郷でも見ていると思うとうれしい。平和のことを思う」という手紙から着想を得た。「じいちゃんは、手紙のあちこちで『平和』と書いている。会ったことはないが、横にいて何かを伝えてくれるような感じがした」

 書籍は2200円。富山県立山町の書店併設型のコンビニ店「LAWSONマチの本屋さん」やネット通販サイトで購入できる。

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