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震度計で計測できなかった阪神大震災、初の「震度7」発表は3日後…「自然の力を甘く見てはいけない」

読売新聞 / 2025年1月14日 13時49分

 阪神大震災は、気象庁が定める震度階級で最も高い「震度7」が初めて発表された地震だ。被災者支援のため、揺れと被害が最も大きい地域を迅速に把握する必要があるが、当時の震度計は震度6までしか測れず、発表は3日後だった。判定のため現地調査に向かった同庁の原田智史さん(55)は「いま暮らしている地域が被災する可能性があることを忘れないでほしい」と訴え続けている。(鬼頭朋子)

 「現地調査の人手が足りない。すぐに向かってくれ」。地震が発生した1995年1月17日朝、原田さんは当時所属していた同庁の気象研究所(茨城県つくば市)の上司から指示を受け、翌朝に神戸市に到着した。小中学生時代を大阪で過ごしていたが、記憶に残っていた華やかな街並みは一変し、住宅が燃え、煙が立ちこめていた。レンガ造りの教会は全壊していた。

 気象庁は当初、最大震度を「6」と発表した。震度7は1949年に設けられたが、当時の震度計で測れるのは震度6まで。震度7の判定基準は「家屋の30%が倒壊」などで、原田さんらのチームが確認にあたった。

 中心部の三宮では、オフィスビルが中央付近でフロアごとつぶれ、鉄筋コンクリート造の商業施設には縦に大きな裂け目ができていた。

 被害は明らかに甚大で、チームの意見は「7」で固まっていたが、基準は木造住宅が前提だったため市街地での判断は難航した。本庁からは根拠を確認する問い合わせの電話が何度もあり、損傷状態の説明を続けた。気象庁が「中央区三宮付近と淡路島北部の一部」を震度7と発表したのは20日だった。

 東京に戻ると、道路はいつも通り混雑していた。阪神高速道路が橋脚ごと横倒しになり、巨大な路面が目の前にそそり立っていた光景が、頭をよぎった。「同じ地震が起きたら、どうなるのだろう」――。

 その後、原田さんはこの時の思いを胸に地震計の設置業務などを担当し、昨春、津波警報などを発表する現場のトップ、地震津波監視課長になった。大きな地震が発生すると同庁庁舎に駆けつけ、夜間や休日でも記者会見を行う。原田さんは「地震は予知することはできない。自然の力を決して甘く見てはいけない」とかみしめるように語った。

震災後、高性能の震度計の導入進む

 阪神大震災は、震度計の設置が進むきっかけとなった。

 気象庁は三宮などに震度7を発表した後、調査範囲を拡大。地震から約3週間後、神戸市須磨区から兵庫県西宮市までの約20キロ、幅約1キロの帯状の地域などを、震度7と判定した。

 気象庁の有識者会議は「詳細な調査が必要で時間がかかる判定方法は、災害応急対策に使う情報としては適当ではない」として、気象庁に震度計で計測し、速報するよう求めた。

 気象庁は震災の翌年、高性能で震度7が計測できる震度計の導入を始めた。地方自治体などが設置した震度計のデータも使えるようになったため、現在では阪神大震災前の約15倍にあたる4000か所以上で震度を観測している。

 震度7はその後、東日本大震災(2011年)や能登半島地震(24年)などで6回観測されている。

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