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天正遣欧使節・千々石ミゲルの墓、長崎県諫早市の文化財に…ミカン畑での墓石発見から20年

読売新聞 / 2025年1月15日 17時0分

 長崎県諫早市は、16世紀にローマに派遣された天正遣欧使節の一人、千々石ちぢわミゲルの墓を市の文化財に指定した。墓石の発見から20年。人骨や副葬品などが確認され、江戸時代初頭(禁教期)の埋葬習慣を示す貴重な墓地遺跡として認められた。(田中誠也)

 天正遣欧使節は1582年、大友宗麟らキリシタン大名が伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの少年4人をローマ教皇のもとに派遣した使節。ポルトガルやスペインなどを訪問し、90年に帰国した。ミゲルは帰国後、イエズス会(カトリック)を脱会し、棄教したとされる。

 今回指定されたのは、ミカン畑が広がる同市多良見町の丘陵に残る自然石の墓石(高さ2・5メートル、幅1・2メートル)で、2004年に見つかった。

 市によると、一帯は大村藩がミゲルに給付した土地で、墓石にはミゲルの四男の名前と男女2人の戒名や命日(1633年)が刻まれている。専門家らによる発掘調査で成人男女の遺骨が見つかり、刻まれている命日などから、男女の戒名はミゲル夫婦の可能性が高いと結論付けた。

 ミゲルは棄教して「千々石清左衛門」と名乗り、遺骨は仏教形式で埋葬されていた。しかし、一帯からはキリシタンの信仰具と思われるガラス片などの副葬品が見つかっていることから、ミゲルが信仰を守り続けていた可能性も出てきたという。

 市は今回、「千々石清左衛門の墓」として文化財に指定。指定書は昨年12月、現地の墓所でミゲルの子孫の浅田昌彦さん(71)に手渡された。浅田さんは「指定を機に少年使節の歴史をつないでもらい、お墓をいろんな形で活用してほしい」と話した。

 市は今後、「ミゲルの墓」の名称で地域の歴史発信に活用していく方針。

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