生前の藤堂高虎の姿か、新たな肖像画発見…頬はこけて苦虫をかみつぶしたような表情で鋭い眼光
読売新聞 / 2025年1月15日 19時30分
戦国武将で、江戸時代に津藩の初代藩主となった藤堂高虎(1556~1630年)の肖像画が新たに発見された。生前に「
没後が一般的
肖像画は縦78・9センチ、横30・6センチ。上部には、高虎と共に徳川家康のブレーンを務めた僧侶・南光坊天海が書いた文章が添えられている。
これまで知られている高虎の肖像画は、いずれも死後に描かれたものだった。それらに比べると、頬がこけ、苦虫をかみつぶしたような表情で、鋭い眼光をしているのが印象的だ。
現在残されている戦国武将の肖像画は、供養などのため、死後に描かれたものが多数を占める。一方、寿像は、主に僧侶の弟子が「この師匠から教えを受けた」ことを証明するために描かれるのが一般的で、武将が描かれることは少ないとされる。
親類らが所有
津藩に仕えた伊藤家に伝わる「伊藤家文書」が昨年、石水博物館へ寄託され、その中から今回の肖像画が見つかった。
津藩の藩史「宗国史」などによると、高虎の寿像は3幅作られ、高虎の息子で2代目藩主・高次や、高虎の親戚にあたる伊藤一之(兵庫)らが所有した。
伊藤一之は、大坂夏の陣で戦功をあげて抜てきを受け、最終的には2000石を領した。高虎のおいで重臣の藤堂
その後、一之の子孫が、高虎の
伊藤家の没落
肖像画は、石水博物館で開催中の企画展「津藩校有造館と齋藤拙堂」の一環として展示されている。
桐田貴史学芸員は「武将の生前に描かれた寿像がそもそも珍しく、貴重な資料だ」と話す。
伊藤家が寺に肖像画を寄進した理由については、伊藤家の没落が関係しているとみている。
伊藤家文書には津藩主からの書状が15通あるが、うち13通は一之が仕えた高次からのものだった。桐田学芸員は「伊藤家は、藩主から書状を受け取る立場を徐々に失っていく。扱いが軽くなっていった、ということを意味する」と指摘する。石高も200石まで減らされたという。
寄進の経緯が分からなくなることを恐れたのか、伊藤家が高虎の月命日に寺に参拝することを願い出た記録もあった。桐田学芸員は「没落していても、高い家格だったという誇りがあったのでは」と推測している。
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