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阪神大震災で3万人以上運んだ観光船が輸送訓練…当時の船長「30年前と責任変わらない」

読売新聞 / 2025年1月17日 7時37分

震災直後に大阪―神戸間を結び、被災者や支援物資を運んだ「サンタマリア」(神戸市中央区で)

 きょう17日に発生から30年となる阪神大震災では、阪神間の陸路が寸断されて、人や物資の輸送に深刻な影響が生じた。代わって力を発揮したのが海上輸送だ。大阪港の人気観光船「サンタマリア」(566トン)は37日間で延べ3万人以上を運んだ。今月、神戸港までの緊急輸送訓練が行われ、船員たちは災害への備えに思いを新たにした。(福永健人)

 8日午前の大阪港、約15人の船員らを乗せたサンタマリアが、神戸港に向けて出港した。震災当時、救援のために運航した航路の一部をたどりながら、4時間かけて往復する訓練だ。

 「海底の被害は見えなくて怖かった」「初めて訪れる港やったから、慎重に入港したんや」

 前方に神戸港のシンボル「神戸ポートタワー」が見えてきた頃、双眼鏡を手にした当時の船長、清家将之さん(60)が、隣でかじを握る船員に語りかけた。

 サンタマリアは震災の5年前、1990年に就航した。「大阪水上バス」(大阪市中央区)が、大阪港の観光の目玉にしようと、大航海時代の帆船を彷彿ほうふつとさせる外観で、港内をクルーズする観光船だ。

 95年1月17日の阪神大震災で、サンタマリアや大阪港に被害はなかったものの、同日ただちに運航を中止した。その直後から、神戸への海上輸送への協力を求める声が同社へ寄せられた。陸路が断たれ、救援の人や物資を被災地に届けることが困難な状況だった。

 急きょ、港外を運航するのに必要な備品を確保し、航路の安全を確認。発生4日後の同月21日、緊急海上輸送を始めた。

 大阪湾を横切り、神戸港まで約30キロ。災害対応として特別に認められた片道1時間半の最短ルートで1日2往復、ピストン輸送を行った。救命具などを補って定員を臨時に約800人まで増やし、大阪からの便にはパンやインスタント麺、水なども載せて運んだ。

 日頃運航する穏やかな大阪港内と違い、大阪湾は冬の季節風にあおられて白波が立ち、船は大きく揺すられた。陸に近づいてくると、崩れた橋や岸壁から転落したトラックが見えてきた。船上から望む神戸、西宮の街並みにはまだ煙があがっていた。

 神戸港には、何百人もの被災者らが乗船を待っていた。「変わり果てた景色への戸惑いよりも、『船乗りとしてできることをしなければ』という使命感が勝った」と、清家さんは振り返る。機関長だった大江幸弘さん(58)らは地下客室の床にカーペットを敷いて被災者を案内した。その表情には一様に疲労の色がにじみ、雑魚寝して体を休ませる様子は、普段のにぎやかな船内からは想像もできない光景だった。

 1か月ほどたつと、道路や鉄道の復旧が徐々に進み、緊急海上輸送は2月26日で終えた。37日間に運んだ人は延べ3万1929人に上った。朝から夕方までひたすら船を動かし続けた日々だったが、責任感と感情の高ぶりで疲れを感じる余裕もなかった、と清家さんは語る。

 いま、清家さんは同社の専務、大江さんは船舶部長の要職を務める。震災の経験は、将来の有事に備える大切な経験となった。

 4月から始まる大阪・関西万博では、もしもの災害時に会場の人工島・夢洲ゆめしまから帰宅困難者を船で運ぶことが検討されており、サンタマリアが出動する可能性もあるという。

 清家さんは「非常時だからこそ求められる船の力、責任は30年前と変わらない。船員たちには技術だけでなく、自分なら何ができるか常に考える気持ちも養ってもらいたい」と力を込める。

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