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長男が犠牲となった男性、今もアルバム開くことできず…命の大切さや悲しみを孫たちに伝える

読売新聞 / 2025年1月18日 0時41分

震災への思いを語る秀樹さん(香川県土庄町で)

 阪神大震災で、香川県小豆島町の三枝秀樹さん(79)は甲南大2年の長男・秀彰さん(当時20歳)を神戸市で亡くした。あの日から30年。次の世代につなげていくため、孫たちにも震災の記憶を伝えていきたいと考えている。(足立壮)

 生まれた頃からの秀彰さんの写真を収めたアルバムは、今も開くことができない。「時間が気持ちを変えてくれる部分もあったが、いつまでも背負っていくものもある」と語る。

 1995年1月17日朝、秀樹さんは神戸市東灘区に住む秀彰さんの安否を心配し、小豆島からフェリーで本州へ向かったが、神戸にたどり着けず、島に引き返すことに。秀彰さんが亡くなったことは、帰りの船内で、自宅との電話によって知った。秀彰さんは下宿先の木造アパートの下敷きになった。

 その後、遺体安置所に向かうため夫婦で大阪行きの船に乗った。車で約7時間かけて移動し、神戸市内の小学校の教室で遺体と対面した。真面目だった息子の死に直面し、秀樹さんは「頭が真っ白で、どうしても納得できなかった」と振り返る。

 震災の翌年から例年、1月17日に合わせて、同市での追悼行事や大学の慰霊祭に参加し、下宿先のアパート跡にも夫婦で足を運んできた。震災の爪痕が残る街を訪れると、つらい記憶を思い出したが、「供養ぐらいしかしてあげられることがない」と続けた。今年も訪れる予定だ。

 教師をしていた夫婦は定年退職し、いまは5人の孫がいる。秀樹さんは、孫たちがもう少し成長したら、一緒に慰霊の場を訪れ、大切な人を失う悲しみや命の大切さを伝えたいと思っている。

 各地で災害が起こる中、30年前と同じように大切な人を亡くして苦しんでいる被災者がいることを知ってほしい。「伝えることで災害について、より『自分事』として捉えてくれるのでは。つないでいかないといけない」

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