亡き長男・長女「生き返ることはなくても、ともに在ることはできる」…形見のランドセル手に命の授業
読売新聞 / 2025年1月17日 14時0分
愛する家族を一瞬にして奪い去った阪神大震災から30年。被災地では17日、人々があの日の朝に思いをはせ、記憶を語り継いでいく決意を新たにした。
17日朝、兵庫県芦屋市の市立精道小を家族と訪れた会社員米津
「あの日で止まってしまった時間、あの日まで動き続けていた時間、流れゆくあの日からの時間。それぞれに意味があると思うのです」
30年前、自宅の木造アパートが倒壊し、同小1年の長男・
いつも2人と同じ部屋で寝ており、自身はわずかな隙間に救われたが、子どもたちは倒れたタンスの下敷きになった。
震災の1年後、同小の文集を読む機会があった。漢之君と学校活動でペアだった6年の女子児童が、こんな言葉を寄せていた。
〈生きていること。それは、困難の壁にぶつかりそれを乗りこえること。(中略)死んでしまうこと。それは、輝く人生を終え、他の人の心の中で、永遠に生きてゆくこと〉
「どうしていいかわからなかった私に、ヒントをくれた。自分はこのままではいけないと思った」。1996年1月の市の追悼式に遺族代表として出席。2004年、精道小から声をかけられ、「命の授業」を始めた。県内外の学校にも招かれるようになり、今では年10校前後を回っている。
「授業」には、古びたランドセルを持って行く。漢之君が背負っていたもので、がれきの中から見つかった。震災後に生まれた次男・
語る際に意識するのは、現在とのつながりだ。漢之君は亡くなる前日、教諭との連絡帳に<おかあさんとカレーをつくりました。あした、たべるのがたのしみです>と書いていた。米津さんは、毎年1月17日や月命日にカレーを作り、漢之君の誕生日にはステーキ、深理ちゃんの誕生日にはビーフシチューと、2人の好物を食べることを児童に話す。「そうすることで、子どもたちが漢之と深理の存在を感じてくれる。2人が生き返ることはなくても、ともに
児童から、「つらくないの?」と問われることがある。家族を亡くした現実と向き合うことは確かにつらいが、震災を知らない児童が「授業」を通して考え、成長する姿に励まされてきた。「震災を経験していなくても、話を聞いて語り継ぐことができる」「亡くなった命が、新しい命に引き継がれていく」。そんな子どもたちの声がうれしかった。
米津さんは17日の追悼式の話を、こんな言葉で締めくくった。
「これからも伝え、聞き、語り合い、つないでいきたい。思いはつながると信じて」
(阪神支局 加藤あかね)
この記事に関連するニュース
-
進化した震災学習、思いは時空を超える 児童8人が犠牲の芦屋・精道小で追悼式
産経ニュース / 2025年1月17日 21時7分
-
「忘れたらあかん。備えることが大切」阪神・淡路大震災から30年 発災当時に思いをはせ…神戸の街を歩く『メモリアルウォーク』も開催
MBSニュース / 2025年1月17日 18時30分
-
阪神大震災30年、遺族「今でも鮮明に」=小学校で追悼式―兵庫・芦屋
時事通信 / 2025年1月17日 11時59分
-
カレーを食べるはずの「あした」が来なかった兄妹 語り継ぐ思いとは
毎日新聞 / 2025年1月16日 17時30分
-
「阪神」「東日本」二つの震災が結ぶ縁 紡ぐ言葉、記憶継承の道標に
毎日新聞 / 2025年1月16日 10時30分
ランキング
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください