1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

波紋広げた「残念石」トイレは理解得られたか 設計者「事実ベースで現状知っていただいた」【大阪・関西万博】

J-CASTニュース / 2025年1月19日 12時0分

波紋広げた「残念石」トイレは理解得られたか 設計者「事実ベースで現状知っていただいた」【大阪・関西万博】

「トイレ2」と呼ばれる、柱に「残念石」を使用したトイレ。残念石は、京都府木津川市から運んできた

2025年4月13日に開幕する大阪・関西万博では、大坂城再建に使う目的で切り出されたが使われなかった「残念石」と呼ばれる石を、柱に使ったトイレもお目見えする。

残念石の活用をめぐっては、元々の場所から動かすことや、トイレの柱という用途について批判的な声もあがった。24年12月20日に行われた報道公開では、設計者のひとりが(1)傷つけないように養生して運んでいる(2)会期終了後は元の場所に戻す、などと説明。現状を説明することで、理解は進んでいるとの見方を示した。

「400年の間にかなりの回数動かされていた経緯がある」

万博では、20ほどの建築物のデザインを40歳未満の建築家を対象にコンペで募集した経緯がある。選考を経て建設が進んでいるひとつが、今回の「トイレ2」と呼ばれる残念石を活用したトイレだ。提案したコンセプトは「いのちを持つ庭」。取材に応じた設計者のひとり、竹村優里佳氏によると、石自体を命としてとらえた上で「建築自体が命を持っているのではないか」という着想から提案したという。コンペに採択されてからも「結構敷地が変わったり用途が変わったり」と、紆余曲折もあったようだ。

残念石は近畿地方の各地に点在しており、木津川の支流、赤田川の河川敷(京都府木津川市加茂町)にあるものを万博向けに借りることになった。1975年に護岸工事を行っていたところ、多数の巨石が見つかり、大坂城再建のために切り出されたことが判明。そのまま堤防として機能しているものや、展示用として移動されたものもあり、11個が河川敷に置かれた。竹村氏によると「400年の間にかなりの回数動かされていた経緯がある」という。この11個のうち5個が、24年5月に万博会場に向けて運び出された。高さは2.5メートルから3メートル、重さは7~13トン程度。表面には、石を切り出す際に開けられた「矢穴」や、寸法などを記した「刻印」の跡が残っている。竹村氏は

「石自体が持つ自然の迫力のある力と、『400年前の人々が確かに切り出した』という人間の力、そうしたものを実際万博に来て、皆さんの五感で感じとっていただければ」

などとアピールした。

「会期後は、もとあった場所に戻る」「『万博石』みたいな感じに」

竹村氏は、輸送時に石を傷つけない工夫にも言及しながら「会期後は、もとあった場所に戻る」と説明。木津川市に戻った後は「『万博石』みたいな感じになっていく」と予想している。

残念石活用をめぐる批判が相次いだのは24年1~2月ごろ。開幕が近づき、理解は進んだのか。竹村氏は、批判が相次いだ背景には、残念石をめぐる歴史的経緯が理解されていないことがあるとみている。

「当時は『残念石』というワードが世界に広まっていない状態で、残念石が『切り出されたその場所にあるから価値がある』ということを考えていらっしゃる方がいた。この石は特殊で、何回もすでに動かされているので、原位置とセットではないという経緯がある」

こういった「複雑な経緯」は考古学者全員が把握しているわけではなかったとして、

「そういった事実ベースで皆さんが現状を知っていただいて、かつ、この建築が『なんかめちゃくちゃ変なこと』をしようとしているわけではないということも、同時に知っていただけたと感じている。これから会期を踏まえてじょじょに専門家の方々とお話し、トークイベントなどもしていければ、皆さんの理解も深まっていくのでは」

などと説明。開幕が近づくにつれて理解が進んでいるとの見方を示した。

(J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください