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「阪神」被災者のため生徒会長がおにぎり「1人20個」呼びかけると…翌日集まった1万8000個

読売新聞 / 2025年1月21日 12時50分

支援活動の経緯が記されたパネルを紹介する高木教頭(奈良県天理市で)

 阪神大震災から17日で30年が経過した。発災直後、奈良県天理市の天理中学校の生徒たちは手作りおにぎりを持ち寄り、自衛隊のヘリコプターで被災地に届けた。当時の支援活動を振り返るパネル20点が同校の1階廊下で展示されている。同校の教員として活動に携わった高木章教頭(57)は「展示を通して、災害時に自分に何ができるのか生徒たちに考えてほしい」と話している。(池田光汰)

 「私たちに何かできることはないでしょうか」。震災翌日の1995年1月18日、被災地の状況を報道で知った生徒会の女子生徒が教員に提案した。被災者の力になりたい、という生徒の思いを受けとめた教員は生徒会の役員と話し合い、手作りのおにぎりを自衛隊のヘリコプターで被災地に運ぶことを考えた。

 当時、生徒会の顧問で、現在も同校の教員を務める尾上雅弘さん(64)が自衛隊に連絡し、計画を説明。物資運搬の協力を依頼し、了承を得た。尾上さんは「人助けをしたいという生徒たちの懸命な気持ちに応えたかった。実現するか分からなかったが、やれることを精いっぱいやろうという思いだった」と振り返る。

 1月19日、全校生徒を集めた臨時集会が講堂で開かれ、生徒会長が1人20個ほどのおにぎりと被災者を励ますメッセージカードを持参するように呼びかけた。計1万個のおにぎりを被災地に運ぶ計画だ。

 近隣小学校などの協力もあり、目標を大きく上回る約1万8000個のおにぎりが集まった。同20日に徳島県小松島市の小松島航空隊(現在は第24航空隊)のヘリコプター4機が同校グラウンドに着陸。おにぎりが入った段ボールが積み込まれ、被災地に届けられた。

 尾上さんは「たった1日で1万個以上のおにぎりが集まった。被災地の力になりたい、という生徒たちのエネルギーに驚かされた」と感慨深げに語る。後日、同校には被災地の人々から「おにぎりに添えられたメッセージを見たときは胸がいっぱいになった」などのお礼の手紙が多数届いた。

 パネル展示では、おにぎりのほか、缶詰やカイロなどの支援物資をヘリコプターに運び込む様子や、おにぎりを受け取った被災者から届いた感謝の手紙などが写真とともに紹介されている。

 高木教頭は「阪神大震災を知らない人が増えてきている。当時の中学生が人助けのために力を尽くしたことを伝え続け、中学生だからできないではなく、人助けのために何かやってみようという気持ちを持ち続けてほしい」と願った。

ヘリ元操縦士が講演「何時でもどこでも何でも運ぶ」

 天理中学校で17日、阪神大震災発生時に生徒らが作った約1万8000個のおにぎりをヘリコプターで被災地に運んだ元海上自衛隊の横野正和さん(71)が、「阪神・淡路大震災から30年 今の私たちにできることは」と題して講演し、当時の状況を振り返った。生徒ら約430人は真剣な表情で聞いていた。

 横野さんは震災当時、海上自衛隊のヘリコプター操縦士として、被災地に医薬品や食料などの支援物資を運んだ。任務に当たった際の心構えとして、「何時でも、どこでも、何でも運ぶ」、「自身の安全確保」などを挙げた。

 天理中の生徒が、支援に取り組む隊員たちを勇気づけようと送った手紙をスクリーンで紹介し、「一人でも多くの方を助けられるよう頑張ってください。NEVER GIVE UP」とのメッセージに「涙を流す隊員もいた。救助活動の心の支えになった」と感謝した。

 同中1年の穴井誉己君(13)は「先輩たちが被災地を助けようと、実行に移したのはすごいと思った。大地震が発生したときに、自分たちにも何が出来るのか日頃から考えたいと思う」と語った。

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