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「甲子園には出られない」…それでも片岡安祐美が高校野球にこだわった理由、野球部外の生徒が「嘆願書」も

読売新聞 / 2025年1月24日 10時0分

高校の体育祭で野球部のチームメートと(最前列)

 女子野球選手の先駆けで、社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督を務める片岡安祐美さん(38)。小学生の頃から、夢は甲子園に出場すること。野球漬けの青春時代を過ごしたという。(読売中高生新聞編集室 渡辺星太)

好きなゲームはパワプロ、好きな漫画はH2

 「中学でも野球を続け、生活はまさに野球一色という感じでした。部活が終わって帰宅するのは毎日午後9時を過ぎていました。当時の推しは、二岡智宏選手(現・巨人ヘッドコーチ)。遊撃手としての華麗な守備や、右方向への巧みなバッティングに、同じ内野手として強く憧れました。下敷きも、ずっと二岡選手(笑)。好きなゲームは『パワフルプロ野球』だったし、いつも読んでいた漫画は、あだち充さんの『H2』。とにかく野球、野球でした。

 甲子園に憧れて野球を始めたので、中学に入るとき、父に約束してもらったんです。『中学野球を全うしたら、甲子園観戦に連れて行って』って。中学でもレギュラーをとり、中3の夏は県大会までもう一歩、というところまで勝ち上がりました」

中学最後の夏が終わり、進学先を考え始めた頃、父親から衝撃の事実を知らされる。

 「ある日、父に分厚い紙の束を手渡されたんです。いわゆる高校野球連盟の規則でした。すると、最初の方のページに、『参加選手の資格は、その学校に在学する男子生徒』って書いてあるんです! もう、びっくり。続きも読まずに『これ、どういうこと?』って尋ねました。でも父は、『そこに書いてある通りだ。甲子園には出られない。もう15歳。自分の人生をどうするか、自分で決めなさい』と。ぼう然として、しばらく何も言えませんでしたね。

 その頃の私は、甲子園に出て注目され、ドラフト指名を受けて、プロ野球選手になるんだとばかり思っていました。大人になってから、この時のことを父に聞いたら、『知らんわけないだろうと思っていた』と言ってました。いやいや、本当に知らなかったんですよ。

 信じていた夢が絶たれ、どうしようか本当に悩みました。そんな折でしたが、約束通り夏の甲子園に連れて行ってもらったんです。1泊2日の関西旅行。USJに行く選択肢もありましたが、私の場合は、脇目も振らず甲子園でした。初めて観戦したけれど、圧巻の一言。『あれが甲子園のつたか』とか、見るもの全てが楽しくて、2日間、丸々球場にいて、色んな席から観戦しました。

 そこで感じたのは、今すぐフェンスをよじ登って、セカンドの守備につきたい! やっぱり高校球児になりたい! という強い思いでした。女子を受け入れてくれる高校野球部を探し、『私がルールを変えてやる』くらいの気持ちでやろうと決意しました」

特別扱いしないで

野球を続けると決めてからは、塾に通って猛勉強。女子選手でも入れる高校の野球部も見つけて合格し、晴れて高校球児となった。

 「県立熊本商業の野球部に入ってすぐ、監督や仲間に『特別扱いはしないでください』と伝えました。ランニングの量も、筋トレの回数も同じ。何をやってもビリだったけど、必死に食らい付きました。そうしないと、仲間として受け入れてもらえないと思っていたからです。

 練習の激しさは、高校1年の時、生理が2~3か月も止まってしまうほどでした。心配した母が病院に連れて行ってくれて、ホルモン剤を投与してもらったのですが、副作用の吐き気がきつくて。それでも当時の私は、吐き気をこらえながら練習を続けました。

 歯を食いしばれたのは、周囲の応援がとても大きかったです。野球部ではない生徒たちが、高校野球連盟に、女子の出場を認めるよう嘆願書を出してくれたこともありました。練習していると、校舎のベランダから女子の先輩が、『がんばれ、熊商の星ー!!』って叫んでくれたことも。本当にうれしかったですね」

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