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処分寸前のごみから、鳥羽城の被災状況など江戸時代の「貴重な史料」…処理場職員の機転で「発見」

読売新聞 / 2025年1月23日 22時0分

鳥羽城の「修補願」の控え。石垣のうち、高さ3尺、横17間が崩れたなどと書かれている

 約220年前の暴風雨で石垣が崩れた三重県の鳥羽城の被災状況を記した絵図が発見された。鳥羽藩が江戸幕府に提出した文書の控えとみられる。鳥羽市内の空き家から大量の文書がごみ処理場に持ち込まれ、職員が「何かの史料では」と感じて専門家に連絡したという。(増実健一)

石垣の「修補願」

 絵図は縦約80センチ、横約72センチ。1800年10月頃の鳥羽城を描いたものとみられる。災害で崩れた場所が赤く塗られ、「高三尺横拾七間崩申候」などと書かれていた。損傷箇所は2か所で、合計で高さ1メートル弱、長さ約40メートル弱の石垣が損傷したことが記録されていた。

 鑑定にあたった県職員の盆野行輝さん(59)によると、鳥羽藩が城の修復許可を求めて幕府に提出した「修補願」の控えという。

 幕府は「武家諸法度」で、城の石垣などを無断で修復することを禁じていた。各地の大名の軍事力が過度に高まり、幕府と対立する事態を避けるためだったとされる。

 海沿いに築城された鳥羽城は、何度も風水害の被害を受けた。1800年の災害で損傷したことは明らかになっていたが、修補願の行方は不明となっていた。盆野さんは「当時の災害を視覚的に知ることができる貴重な史料だ」と指摘している。

空き家から持ち込み

 絵図が見つかったのは、処分される寸前だった。

 昨年7月、鳥羽市のごみ処理場に、古い書類などが入った段ボール箱が持ち込まれた。名古屋市在住の男性が、空き家となった鳥羽市の実家を整理した際に出たものだった。仕分けにあたった作業員が、古文書のような達筆な書類があることに気づいた。連絡を受けた鳥羽郷土史会が引き取り、県に連絡した。

 鳥羽郷土史会の野村史隆会長(76)によると、「ごみ」の中には、修補願の控えのほかにも、鳥羽城主だった稲垣家の経歴年表や、老中の書状など江戸時代の史料が多数、含まれていた。

 これらの史料が空き家に残されていた理由は分かっていない。史料を調べた盆野さんによると、空き家を所有していた男性の先祖は神職で、その縁で鳥羽藩の関連文書を持っていた可能性があるという。

 盆野さんは、歴史的な価値のある文書が民家の押し入れなどに眠っているケースもあるとして、「気づいたら、処分する前に専門家に見せてほしい」と話している。

 ◆鳥羽城=水軍を率いて織田信長や豊臣秀吉に仕えた九鬼嘉隆(1542~1600年)が築いた城。海に面しており、珍しい造りとされる。1726年から明治時代の廃藩置県までは稲垣氏が支配した。

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