1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

石山アンジュの人生を変えた両親の離婚、「何のために生まれてきたんだろう」と悩んだ日々

読売新聞 / 2025年2月7日 10時0分

幼少期に両親と撮った家族写真(本人は手前右)

 社会課題の解決を目指す起業家でテレビコメンテーターの石山アンジュさん(35)。インターネットを通じてモノや技能などを共有する「シェアリングエコノミー」の伝道師という顔も持つ。マルチに活躍する現在があるのは、自由で型破りな両親の影響が大きいという。(読売中高生新聞編集室 隅谷真)

地球人として育って

 「旅行作家の父、石山和男と、日本ベストドレッサー賞の選考委員を務めるファッションプロデューサーの母、しぎはらひろ子の一人娘として生まれました。父も母も自由な人で、父からはいつも『アンジュは日本人じゃなくて地球人なんだよ』と言われて育ちました。

 もともと父は大手音楽事務所で南アメリカの音楽を担当するプロデューサーでしたが、突然仕事を辞め、放浪の旅に出るようになったそうです。その頃に授かったのが私です。母は今でいう『バリキャリ』で、ほとんど家にいることなく仕事三昧ざんまいでした。なので、私の小さい頃の面倒は、主に父が見てくれていました。

 横浜市内の実家には、父の音楽関係の仲間が寝泊まりしていて、まるでシェアハウスのようでした。年齢も職業も国籍もバラバラ。父の専門がブラジル音楽だったこともあり、ブラジル人も一緒に住んでいました。家ではいつでもブラジルの曲が流れていて、0歳の時からブラジル音楽の英才教育を受けていたようなものです。今も『ラテンのノリと明るさがある』とよく言われるのは、きっとそのせいだと思います。母もブラジル音楽が好きで、私が2歳のときから毎年、親子で東京・浅草のサンバカーニバルに出場していました。ちなみに父は今も出ています(笑)」

とにかくおおらかだった家庭環境は、小学6年生のときに大きな転機を迎える。

 「両親はそれぞれに自分の『好き』を徹底的に追求する人でしたが、小学6年生のとき、離婚することになりました。今思えば、確かにケンカすることも増えていたし、お互い一緒にいることが難しくなっていたのだと思います。この経験は自分の存在意義について考える大きなきっかけになりました。

 当時は子ども心に、子どもというのは、お互いに愛し合っている人同士の間に授かるものだという方程式のような考えがあったんです。でも、その2人が別れてしまった。あれ?私は一体どうして生まれたんだろうか。何のために生まれてきたんだろうかって。

 その頃は、週3日は父の家、2日は母の家、残り2日は友だちや祖母の家を転々とする生活でした。両親それぞれのパートナーとも普通に会っていました。両親よりも私と年齢が近かったのでお兄さん、お姉さんのような存在。両親とも会えないわけではなかったので、特別さみしさを感じることもありませんでした。ただ、自分の存在意義について、ずっと心にモヤモヤがありました」

両親からは「勉強しなくていい」

個性的な両親は、人生についての考え方も独特で、高校進学時には苦労したという。

 「とにかく両親からは勉強しろと言われたことがないんです。むしろ、しなくていいと。いい高校に行き、難関大学を出て、大企業に就職する。多くの人が思い描くような、そんな人生にきっと反対だったのだと思います。だから、中学生の時は塾にも行かせてもらえませんでした。

 でも、しなくていいと言われると、逆にしたくなる。勉強はむしろ好きで、塾に通う友人に頼んでテキストをコピーさせてもらったり、おこづかいがたまったら自分でドリルを買ったりしていました。中学3年になり、両親は反対しましたが、県立高校を1校だけ受験することを認めてもらいました。ところが、見事に不合格。このままでは中卒になってしまうと心配してくれた中学の担任が、入れる私立高校を必死で探してくれて、なんとか中卒の危機を回避できたんです」

(つづく。次は「人生観を変えた体験」編です)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください