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ミラノ五輪まで1年、高木美帆がチームで極めるスケート…海外メダリストと鍛錬 

読売新聞 / 2025年2月6日 11時52分

 ミラノ・コルティナ冬季五輪は6日で開幕まであと1年となった。冬の五輪では2大会ぶりに制限なしの有観客で行われ、イタリア国内4か所の会場群に分かれた広域開催、新競技や新種目など見どころは多い。日本勢はメダルラッシュに沸いた昨年のパリ夏季五輪の再現が期待される。(森井智史、福井浩介、平地一紀)

■4か国選手で

 15歳の中学3年生で出場した2010年バンクーバー五輪から15年――。日本のスピードスケートを長くリードする高木美帆(TOKIOインカラミ)が過去3度の五輪とは異なる歩みでミラノへと向かっている。

 「新しく始めたり、いろんな選択をしたりした上で迎える五輪はひと味違うものになる」と高木は言う。22年北京五輪後、日本スケート連盟が主導するナショナルチーム(NT)での活動に区切りをつけ、NTでも指導を受けたオランダ人のコーチ、ヨハン・デビット氏(45)と個別強化をスタート。23年には、佐藤綾乃(ANA)や村上右磨(高堂建設)らと専門チーム「team GOLD」を発足させた。韓国代表で北京五輪男子1500メートル銅メダルを獲得し、ハンガリーに帰化した金敏錫や昨季の世界距離別選手権女子500メートル2位の金旼善(韓国)らを加え、今季は4か国8選手で活動している。

 メダルゼロと惨敗した14年ソチ五輪の反省を機に結成されたNTは実業団や大学の枠を超え、年間約300日の合宿をこなすなど、選手が切磋琢磨せっさたくますることで個々の力を飛躍的に伸ばし、その後の五輪2大会の日本のメダル量産へとつながった。一方、「team GOLD」は専門種目や性別、国籍も違う選手が互いに刺激し合う環境に身を置くことで、さらなるレベルアップを図る。コンディショニングの専門家やパートナー企業のバックアップなど、体制を一から作り上げた高木は、「チームが整ってきた」と充実感をにじませる。

 18年平昌ピョンチャン、北京両五輪で夏冬を通じて日本女子最多の7個のメダルを獲得、今季はワールドカップ(W杯)個人種目の勝利数を日本勢最多の35まで積み上げた。30歳になり、高みを極めた今でも「望むものを手にするために貪欲に向かう」とさらに上を目指す姿勢に変わりはない。北京五輪では世界記録を持つ1500メートルでタイトルを逃し、完全燃焼にはならなかった。本命種目で金を取ることがミラノ・コルティナ五輪での高木の最大の目標だ。

森重航らも合流

 「team GOLD」以外にも、独自のチーム結成の動きが広がっている。五輪2大会出場の一戸誠太郎(ANA)は中長距離の精鋭選手を集めた「Team 1」を結成。「TEAM Scrum(スクラム)」は北海道の企業の支援を受け22年に誕生。北京五輪男子500メートル銅メダルの森重航(オカモトグループ)らも加わり、国内で存在感を示しつつある。

 NTでの強化で力をつけた選手が、それに飽き足らず、自分の課題に特化した練習や更なる理想の環境を求めてNTを離れていく流れについて、日本スケート連盟の湯田淳強化部長は「NTからの卒業」と理解を示す。日本連盟は個々のチームもNTと並ぶ強化の柱と位置づけており、トップ選手の個別活動には強化費を配分して後押しする。

 その一方、男子500メートル日本記録保持者の新濱立也(高崎健康福祉大職)は引き続きNTでの活動を選択。2月のW杯ミルウォーキー大会で、500メートルで今季無傷だったジョーダン・ストルツ(米)に土をつけた。

 複数の金を含むメダル総数5個を目標に掲げるスピードスケート日本。選手がそれぞれ自分の信じた道を歩んだその先、1年後のミラノではどんな答えが待っているのだろうか。

実業団撤退、強化の受け皿

 1984年2月、雪が舞うサラエボの屋外リンクで日本史上初メダルとなる銀に輝いたのが21歳の北沢欣浩よしひろ(当時法大)だった。それ以降、日本は実業団や大学の選手らがしのぎを削り、五輪メダルを積み上げ歴史を刻んできた。

 当時、日本代表が集まる合宿でも、企業など所属先ごとのグループに分かれて練習していたという。強豪の富士急一筋で42歳まで現役を続けた岡崎朋美(98年長野五輪女子500メートル銅メダル)は「日本代表の選手でも氷上では互いがライバル。練習から常に緊張感があった」と振り返る。

 だが、厳しい経済環境が続く中、実業団の休廃部や撤退が目立つようになる。2002年には、山本宏美(94年リレハンメル五輪女子5000メートル銅メダル)ら五輪選手を数多く輩出した王子製紙スケート部が廃部した。

 日本代表の活動の中心がNTに移ったことも影響した。所属先優先の慣例を捨てたNTによる強化は成果を上げる一方、実業団の存在意義が薄れつつあった。

 メダルラッシュに沸いた22年北京五輪直後、清水宏保(98年長野五輪男子500メートル金メダル)らトップ選手が多く活躍した名門・日本電産サンキョーが65年の歴史に幕を下ろしたのは象徴的な出来事だった。

 実業団の受け皿が減り続ける中、チームの活動や取り組みが日本のスピードスケート界でますます注目される。

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