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長宗我部元親の建立と伝わる瑞応寺、岡豊城跡の北麓に礎石…池・岩も配置で「趣向うかがえる」

読売新聞 / 2025年2月7日 13時1分

 高知県南国市岡豊町の国史跡・岡豊城跡の北麓に、戦国大名・長宗我部氏一族が建立したと伝わる「瑞応寺」の発掘調査で、建物があったことを示す礎石が見つかったと6日、市教育委員会が発表した。谷地を計4か所、階段状に平らに造成し、建物そばに池、遠めに岩を配して庭園のように仕上げていたことも明らかになり、「元親の文化的な趣向や宗教観もうかがえる」としている。(浦一貴)

 瑞応寺は元親が両親の菩提ぼだい寺として建てたと伝わり、元親が居城を大高坂へと移した際、寺は現在の薫的神社(高知市洞ヶ島町)近くに移った。

 調査は国史跡の追加指定に向けて2022年度から3度実施され、対象区域は岡豊城の本丸「つめ」の北約200メートルの場所にあたる約2000平方メートル。今回は南の100平方メートルを発掘し、新たに2か所、造成による平坦へいたん地を確認した。

 うち一つには池の遺構があり、西隣からは建物の柱を据える礎石が見つかった。建物は東西5・1メートル、南北3・4メートルと小規模。茶室か、弔いの空間「方丈」と推定される。元親の時代の天目茶わん、中国やベトナム産の「貿易陶磁器」の破片、碁石も出てきた。

 また、この平坦地の北東端では巨岩を据えた石垣が出土。織田信長らの築城手法にならい、寺の入り口を設けたと考えられるという。入り口近くでは、赤茶色の焦土や鉄くぎが見つかり、炉跡と確認した。焦土の上には灰白色の粘土がかかっており、建立後に化粧土を施したと考えられる。

 最南端の平坦地も、積んだ岩を盛り土の土台にする丁寧な造成がされていたものの、遺構は見つからなかった。調査は今回が最終の予定だったが、規模の大きい建物遺構がないか、22年度の調査地を再度発掘する。

 現地説明会は8日午後2時から。小雨決行。

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